こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
うむ、割と気持ち良くイラストが描けました。
当記事の内容とは全く関係ないですが、記事サムネとして強引に採用!
さあ、1年を区切るタイミング1月。新年の始まり。
しかしこのタイミング、どうしても合理性に欠けると思えて仕方がありません。
そう、僕は兼ねてより、1月ではなく4月で区切った方が良いと主張し続けてきました。
が、今回改めてその思いを強くしました。
年末年始休暇、特にそう、お前のことだぞ?
真冬の過酷な季節を選んでわざわざ帰省する必要性
実家を出てから年末に帰省すること15回以上、ようやく気がつきました。
これ、12月末である必要ないよね?と。
まず、寒さが過酷。
僕の実家は寒いところなので、何故そんな寒い時期にわざわざ近づく必要があるのでしょうか。
結局帰ったとしても寒さに閉じ込められるだけだし、こたつから動きにくくなる。
寒い時に客人をもてなす側だって、もてなされる側だって動きたくない。
環境が過酷なせいで何だかピリピリしてしまうし、余計ないさかいも起きやすい。
キッチンが寒い、食卓が寒い、風呂が寒い、寝床が寒い。
それぞれをカバーするのに物的にも人的にも精神的にもめちゃくちゃコストがかかる。
故に、無駄な言い争いも発生する。
そうです。冬は古来より冬眠しているに限るのではなかったでしょうか?
何故に、そんなピリピリする時にみんな集まる必要があるのか、はっきり分かりました。
ない、断じてない。
メリットなんてないんですよ。
正月は交通費だって高いですからね。
もっと実態や実利に合わせて風習は見直していっても良いと、僕は確信しました。
次回以降はちょっと考えます。
そもそも、同じタイミングで一斉に休むことの是非
この5年ぐらい、働き方改革だなんだの流れもあって、休みなさい的な風潮です。
でもね、そうやって強制的に取得させられた休みなど、間違っているとも思う訳です。
理由は以下2点です。
1、 負荷分散出来ない
2、 休みの強制は、労働の強制と同じ
みんなが一斉に休めば、混雑や渋滞も起きるし宿や交通費の高騰も起きます。
休む人の裏側で、サービス業の人は休めなかったりもする。
それどころかむしろ負荷が上がっていたり。
「かきいれどき」、と言えるのかもしれませんが、特定のタイミングのみ負荷が高いのは無駄に必要性能の上限が上がってしまって、その意味で非効率です。
必要なときだけ変化出来るもの(増便とか)ならまだ良いかもしれませんが、高速道路の能力なんて長期休暇のMAXを前提に設計したら平時はコストがかかり過ぎるし、逆に能力が低いと長期休暇に耐えられない、とか起こってしまうわけで。
そんなに可変的に対応出来るものばかりでもないのです。
そして、休みの強制。
休みの強制も、残業の強制と同じくらい罪深いものなんじゃないでしょうか。
何も仕事の中身を変えないまま、休みの強制だけしても仕組みとして回るわけもなく。
理不尽な理由で残業になることは防ぎつつ、やりたい人には働いてもらったら良いのであって、自由に選べるのが正しい姿ですよね。
そう、働き方改革の本丸は要するに「裁量を持たせる」ことにあるのだろうと僕は考えています。
つまるところ、好きな人が好きなときに自由に休める、この方が幸せなんじゃないでしょうかね、きっと。
帰省するのだって、いつでも帰れればよいじゃあないですか。
みんなが好きな都合で好きに出来る、これが自由ってもんだと、そう思うわけです。
(ってなことを前も言っていたようですね。)
さあ、身の回りの当たり前、もしも実態と合わなくなってきているのなら見直してみませんか?
ではでは。
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