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Coyapuyo Re:Works

30代に突入したITエンジニアが新卒で9年務めたSIer系から転職してみた結果、定時で帰れるようになりました。

真理って言葉を、セオリーと読んで思考停止を防ぐ

■雑記・コラム
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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

 

最近は、ちょっと本腰を入れて色んなことを考え始めています。

人生とは何で、人生をどうするのか、とかね。

昔は、そういうあれやこれや考えて哲学するなんてことを

よくやっていたのですが、数年前からあまり考えなくなっていました。

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あれこれ哲学するのを辞めた理由

 

それは、あまりゴチャゴチャ考えることに意味はない、

そんなことグダグダ言っている暇があったら、ただ生きるしかない

という境地に至ったからでした。

 

あと、自分なりに考えて、ある程度の答えが出たから、

みたいな感覚もあったと思います。

ちょっと達観したというか、悟った感じも出てきていたと思います。

 

このように至って、一定の答えを持って定常的に行動しているときは

負荷がすくなくてとても良いものです。

 

 

変化の激しい時代に、悟りはない

 

でも、そうやって僕が悟った気になっていたのは、

あくまでもそのときの自分に見える世界でのことであり、

井の中の蛙であり、その人の世界はそこまでになってしまう側面もあります。

 

そして何よりも、

自分自身も環境も変わっているのに昔導き出した結論が今も正しいというのは、

どう考えても古い情報に縛られてますよね。

それでうまくいっているウチはいいのですが、うまくいかなくなってきたのなら、

古い情報から新しい情報に更新すべきです。

 

「人にやさしくしなさい、人の繋がりを大切にしなさい」とか

「自分が笑顔でなければ、他人を笑顔にすることは出来ない」とかっていう言葉は

ものすごく道徳的で、人類に普遍の真理であるように思えます。

 

思えるだけなく、実際に真理だと思います。

今のところは。

 

誤解を恐れずにホントに極端なことを言えば、

これは、「そういた方がメリットがある」から、言われている言葉ですよね。

人と関わってる方がメリットがあるから現在のところはこう言われるのであって、

「人はひとりでは生きていけない、結局は誰かに助けてもらう必要がある」

というそうそう覆らない現在の事実によって、普遍とされている言葉ですよね。

 

でもそれですら、前提が変化していくと真偽は変わってしまいます。

 

もしも、人が一人でも行きていける技術か何かが生まれてしまえば、

こんなことは言われなくなります。助け合わなくてもそれぞれが幸せに自立していきていける。その場合、もしかすると人が関わりあうことのストレスの方が目立つかもしれない。

 

僕達が生きている間には変化しそうもない極端すぎる例を上げてしましたが、

それでももっと小さな概念や真理であれば、数年単位で十分に変化し得ると思います。

真理って変わらないものですけど、変わってしまうこともあると思うんですよね。

(家族の概念ですら僕は変化するだろうと思っています)

 

 

真理というと不変な感じがしますが、

セオリー、と言い換えるとトレンドで如何ようにも変化するような気がしてきますよね。

 

 

真理とよばれるものは、セオリーと捉える方がしっくりくる

 

セオリーという言葉には、

「論理・方法論・定石」と言った意味があり、

一方、真理という言葉には、

「永久不変に変わることのない正しさ、とか妥当性」

といった意味合いがあります。

 

全然別のものを指している言葉なので、

本来はそのまま置き換えることの出来るものではないのですが、

「自分が真理だと思っていることは、永久不変のことなんかではなく、

現時点あるいは過去から描く直近においての定石であるに過ぎない」

ぐらいに思っておくと、しっくり収まる気がしています。

 

 

もちろん、井の中の蛙がとても居心地がよいうちはそれで構いません。

疲れるのは嫌ですしね。

 

ただ、ちょっと、息苦しさを感じたり、もがきたくなったり、

あるいは退屈になってきたときなんかには、

自分の中のセオリーを更新してみるというのもアリかもしれませんね。

 

 

ではでは。