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Coyapuyo Re:Works

30代に突入したITエンジニアが新卒で9年務めたSIer系から転職してみた結果、定時で帰れるようになりました。

決めてから調べるのか、決めるために調べるのか、行動力の違い

■雑記・コラム
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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

 

今回、無職にも関わらず旅行に行ってしまいました。

それなりに葛藤はあったんですよ、ええ。

 

知り合いは、転職エージェントに対して旅行に行きたいと言ったら、

「そんな余裕ないでしょ?」と言われたらしいですしね。

 

なので、行く前にそれなりに調べました。

 

何を調べたのか、それは・・・

 

「行く価値があるのか?」を確認したかった

 

使った分だけキッチリ減っていく今の暮らしでは、

お金を使うべきところは慎重に考えないといけません。

 

どんな場所があって、

何をしに行くのであれば僕がわざわざ旅行に行く意味があるのか

あるいは、旅行に行くにしても他に候補はないのか。

 

一番お得で効果の高い街はないのか。

 

こんな場所だったりするらしいんだけど、それでも本当に行きたいですか?

 

 

調べた結果を旅行の同行者に報告すると・・・

 

「何も調べてないよ、まだこやぷよが行くかも決まってないし」

 

という反応がありました。

 

誤解しないで下さい。

良いとか悪いとか、そういう話では全然ないんです。

ただ、素直にちょっと意外性があって驚いたんですよね。

スタンスとか思考の順序が違うことに。

 

順序が違うとはどういうことかというと、

「台湾がどんなところなのかは良くは知らないけれど、

 自分の中ではすでに行くことは決っている、後は君が乗ってくるかどうかだけだ」

というスタンスであり、

行くことが決まってから調べるという順番のことです。

 

「調べてないのに行くことは決っている。」

これが僕にとってはある意味で衝撃的だったんです。

 

僕が無職で旅行に行こうとしているから特段に慎重になっている、

というのはもちろんあるんですが、

そうでなくても僕は普段から結構石橋を叩いて行動します。

自分の中でそんな風に先に実行が決まっていたことはありません。

 

 

決められないし、迷いから来る実行力の弱さ

 

僕は自分の中に湧き上がる情動とか、

自分のやりたいこと自分の意志なんてのは大して持っていないので、

総合的、打算的に検討しないと決められなかったりします。

 

ですが、調べないうちから行くことは決っているタイプであれば、

だから、行くとなったら精一杯楽しむし、その中で出来る限りのことをする。

多分目的達成能力は高いはずです。

 

 

僕は、これはやる価値があるのかと常に疑っていますし、

他にもっといいものがあるかもしれないと疑っています。

別にこれをやらなくたっていいという選択は常に付き纏います。

一度決めたとしても、イケてない部分や妥協すべき点が見えると、

すぐにフラついてしまうし、実行に対して言い訳してしまうんですね。

 

「ほら、思ったり通り、やはりこの辺が駄目だったじゃないか、

 薄々は分かっていたんだ」

 なんていう態度ですよね。

 

これってある意味で、「見返り」を求めている態度ですよね。

 

一歩目の遅さが致命傷

 

決めるために調べる人間は、どうしても一歩目が遅いですよね。

僕の行動力のなさはこういうところからも来てるんだなと再認識する出来事でしたね。

 

あまりに調べなさ過ぎるのも別の困難を伴うと思いますが、

やはり、決めてから調べながら走るということが出来ると強いのでしょうね。

 

特に変化の速い時代を生きていくには、調べても分からないことも多いですしね。

(逆に調べたら分かるような安定した世界では、調べないのは自殺行為にもなる)

 

僕自身、無理に変えるつもりまではなかったりもしますが、

調べないで決められるタイプの人がいる、という事実に驚いてしまいました。

(ちょっと人生経験としては遅すぎるような気もしますね。。。

  「え?今までそういう人と出会ってなかったの?」的な・・・)

 

 

 

良いとか悪いとか抜きにして、色々なタイプや属性・趣向の人がいる。

 

会社員として働いているときは皆同じことをするのが当たり前で、

あまり意識したことはなかったのですが、

「人間って色々なタイプの人がいるなぁ」とこの1年つくづく思い知らされます。

 

もちろん、これまでも色々な属性の人に会ってきたのだと思うのですが、

あまりその違いを意識することが出来ていなかった気がしますね。

そういう意味では、僕の側の眼鏡がこの1年で変わったと言えるかもしれません。

 

その人が向いていること得意なこと苦手なこと、思考の癖、

こんなにも違う。

 

そんな当たり前のことに改めて気が付くと、

「逆に、そんなに違う人が集まってよく社会が成り立っているな」

なんてこともよくよく考えると不思議に思うようになりました。

 

実際のところ最近の社会は、この軋轢で苦しんでいるように見えます。

日本中を均質に保っていた頃はうまく回っていたのかもしれない。

あるいは、元々苦しんでいたけれど、最近顕在化しやすくなっただけかもしれない。

 

 

個人的には「みんな違ってみんな良い」が許容される

多様性のある社会であるといいなのかな、なんて思います。

 

 

ではでは。