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Coyapuyo Re:Works

30代に突入したITエンジニアが新卒で9年務めたSIer系から転職してみた結果、定時で帰れるようになりました。

競争に打ちのめされそうになっても気に病むことはない

■退職
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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

 

新卒からIT業界の同じ会社で働き続けた僕が

30歳過ぎで1年のブランクを経て転職をした経験から

転職のワンポイント情報をお届けします。

 

今日は転職での「人材競争に打ちのめされたときの考え方」についてです。

転職出来ないと中々ツラいですが、そのときの捉え方について思うところを書いていきます。

 

 

競争は悪なのかどうなのか

 

転職市場の競争の厳しさについて書きました。

www.coyapuyo.com

 

 

競争について触れるとき、

競争の窮屈さとか、敗者の生きにくさという話は避けて通れません。

 

僕自身は何も力などもっていないし、

面倒事や争いは嫌いで「事なかれ主義者」です。

実際に転職活動でも全然「勝てない」のでかなり消耗しました。

 


ですが「競争そのもの」を否定する気持ちはあまりありません。

 

 

社会主義が行き詰ったように、競争そのものには良い効果もあります。

僕自身、中学のときなんかはライバルの存在で成績が伸びた経験もありますしね。

 

それに、別に勝てる人たちがトップの方で争ってくれる分には、

こちらには何の害もないし、むしろエンタメとしては楽しいぐらいです。

スポーツ観戦と同じようなものでしょうかね。

 

 

競争の息苦しさと、スポーツ観戦の楽しさの違いはどこにあるのか

 

それは自分が巻き込まれているかどうか、にあると思います。

自分が観客席で見ている分には楽しいものです。

 

正確には自分が勝てないフィールドに巻き込まれているかどうかも言えます。

その競技で勝ち続けたりしている人は、観客以上に楽しいでしょう。

 

もっというと、

無理やり巻き込まれている、

あるいは他の競技に行けない

別に好きな競技ではない(勝てなくても好きという人やジャンルはある)

ということがポイントなんだろうな思います。

 

 

競争はするけど、単一の軸での競争でなくても良い

 

競争が悪とされるとき、

・最低限の保証がない

・負けると這い上がれない

ということが言われると思います。

 

個人的には、競争原理を持ち込むときには、

・最低限は保証して、そこから先は徹底的に競争

 (命まではとらないで再チャレンジ出来るようにする、やめるのも自由)

・この分野で勝てないと判断したら別の分野での競争が出来るようにする

・それぞれが得意な分野で戦えばよい

とセットにすべきなんじゃないかと思います。

 

 

これらがないとつまり、

常に社会が求める単一の評価軸での競争しかないということになり、

単一の軸で勝てない漏れてしまった人が生きづらくなってしまいます。

 

何度失敗しても良いし、

社会が求めるだた一つの軸なんてものも実はないので、

それぞれの自分が得意な軸での競争をしていけば良いんだと思います。

 

極端な話、そのひとつに「競争しない」という軸が存在していても良いと思いますしね。

 

 

人格を否定されている訳ではないということ

 

就職がうまくいかないと、

自分の人格そのものや人生を否定された気持ちになることもあると思います。

 

でも、採用って、

ただその人の「機能」がこの会社で働くのに適しているかを見ているだけなんです。

それ以上でもそれ以下でもない、

実際に面接官によってはそれ以外の感情も乗せている人もいるかもしれませんが、

採用にそれ以外の意味を持たせるのは無意味なように思います。

 

転職なんて、ただの「マッチング」の話でしかないということです。

むしろ、面接でしっかり弾いてもらわないと、

お互いに合っていなくて不幸になるという「ミスマッチ」に繋がってしまいます。

 

就職がうまく行かない時期があったとしても、

ひとつの軸で向いていないだけの話なので気に病み過ぎる必要はないということです。

確かにその軸では必要とされていないのかもしれませんが、

別の業界や、別の場所、方向性なら輝ける可能性がある、ぐらいに考えればよいと思います。

 

逆に言うと、ニーズのありそうなところに自分の強みの価値を売り込む、ぐらいのマーケティング精神が必要だとも言えそうです。

その企業が求めているものを読むことも大切なんでしょう。

いくら優秀であっても、リーダー力を求められているところでは技術志向のスーパーエンジニアは不要だったりもします。

転職とはマッチングでありマーケティング、なんでしょうね。

 

 

多様性の時代

 

バブル以降の世の中は単一の軸で皆が同じ方向を向いていることが多かったですが、

これからはより一層の適材適所、多様性の時代に入ってくると個人的には思います。

行動力だけで計画性がない人ばかりでは、死亡率があがるでしょう。

計画だけの人ばかり集まっていては実行力や困難を突破する力が弱いでしょう。

不出来で成長途中の人がいなければ、教えるという立場の仕事はなくなります。

優秀な人(教える側)にとっても、優秀ではない人は必要です。

不出来な人がすべていなくなったとしても、トップ集団の中での序列で不出来な人は生まれてしまいます。

 

カーレースの最高峰にF1があります。

でも、いついかなるときでもF1カーに乗っているのが良いかと言えばそうでもなく、

近所のコンビニに行くのには軽自動車が向いているに決まっているんです。

早く走るのにはF1が良いというだけのことです。

 

そう考えると、どんな特性の人も世の中には必要なんですよね、案外。

 

 

もちろん、どんな方向や特性もありとは言え、

市場経済である以上、需要と供給のバランスで価値は決まってきます。

そこでマッチングのしやすさや有利不利はもちろん発生します。

それは覚悟しないといけないのでしょう。

 

けれど、世の中では諸行無常、栄光と衰退が繰り返されます。

過去に栄えたものでも必ず滅びて、新しい物にとって変わられるもの。

同じものが同じように勝ち続けることはほとんどありません。

 

続けていたり、探し続けていたり、もがき続けていれば、

その結果時代や世界がどうなるかは誰にも分かりません。

背景が変われば価値なんてアッサリと変わってしまうものです。

 

いつかチャンスが回ってくるかもしれないし、

苦労して掴んだものもアッサリと無くなってしまうかもしれない。

 

良くも悪くもそんなものです。

気に病みすぎることはありません。

 

僕は、この1年の無職期間にブログをしたこと、

マーケティングの(軽い)知識を入れたこと、

アドラー心理学の「課題の分離」を取り入れたこと、

これらのおかでげ転職競争のダメージをある程度は緩和することが出来ました。

 

昔の自分ならもっともっとボロボロで深刻なことになっていたと思います。

世界のあるべき軸から外れてしまって生きていけないような、そんな感覚に潰されていたでしょう。

 

 

競争を気に病みすぎずに、程よく付き合えるとよいですね。

ではでは。