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Coyapuyo Re:Works

30代に突入したITエンジニアが新卒で9年務めたSIer系から転職してみた結果、定時で帰れるようになりました。

「慣れ」には、良いものと悪いもの、2種類存在すると思う

■憂鬱
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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

 

無職から仕事復帰して、約4ヶ月。

新しい街や職場にも多少は慣れてきた感じがします。

 

例えば、通勤の不慣れについては以前ちょっと書きました。

雑踏の中で、胸を張って歩けているだろうか - Coyapuyo Re:Works

 

そんな風に、不慣れが慣れに変わるとき、

それは成長や適応を連想させるし、何だか良いイメージがしますよね。

 

でも、この慣れというものは、

ちょっと気をつけないと危険だなぁと最近思ったりする次第です。

 

いや、よく言われる

「人間慣れてきたときが油断が生まれて一番危険だ」

とかいうアレではなく、ですよ?

では、ちょっと説明していきたいと思います。

 

  

それは、スキルアップか?

 

一般によく使われる慣れというのは、

前述の通り、スキルアップ的な意味合いを含んでいるものだと思うんですよね。

 

繰り返すうちにやり方や方法論を学習して、

慣れによって出来るようになっていく。

 

そういうこともあるでしょう。

 

あるいは、「出来るようになる」程までは直接的な話でなくても、

出来ないなりに対処法が分かって来たリ、

出来ないことを補うようなやり方が身について来たりもするでしょう。

 

満員電車が苦手なら、

満員電車が快感になるように自分を変えるのは難しくても、

この路線のこの場所であればまだ比較的空いている、

とかの対処療法を慣れによって身に着けていくことは出来ますよね。

 

こういうケースもあるでしょう。

 

これらのケースはある種前向きなものなので、

良いと思うんですよね。

 

ところがどっこい・・・

 

 

それは、我慢じゃないのか?

 

さきほどの満員電車の例で言えば、

満員電車が苦手であり、

満員電車に快感を覚えるようになって来た訳でもなく、

とくに対策をしている訳でもないのに、

「満員電車」が特に気にならなくなってきたケース。

 

これって、「耐性がついた」という風に言われるケースだと思うんです。

 

この耐性がついたことを「慣れ」と表現するとき、

本当に注意が必要だと思います。

 

何故なら、多くの場合、次の2種類を区別するのがとても難しいからです。

・本当に満員電車でダメージを受けなくなったのか

・ダメージは受けているが、それを感じる機能が麻痺してしまったのか

 

本当に微妙な問題だと思います。

もしも後者の場合は、自分は本当は傷ついているにも関わらず、長期間にわたって心の悲鳴を無視し続けることになります。

それが積もり積もって、自分の中の何かを壊したときになって初めて気付くという恐ろしい話です。

下手をしたら、壊れたあとにだってまだ気が付かないかもしれない。

 

僕は前職で働いていたとき、

どれだけのものを壊していたのか、あまり自覚がありませんでした。

辞めたあとに初めて分かったんですよね。

 

もちろん、耐性を否定する訳ではありません。

ウイルスに対してだって、

無菌室育ちより外で遊んで慣れていかないと大変です。

 

ただ、多くのことに我慢や耐性が必要だったのは、

そうしないと生きていけなかったからであり、

あるいは周りに迷惑がかかるからであったわけです。

 

しかし、ここから先の時代において、

利便性やAI化・機械化を着き進めていくと、

極端な話、人は我慢したり合わせたりしなくても生きていける比率が高まっていくと思うんですよね。

本当の本当に苦手で嫌なことからは逃げることが可能な、

得意で好きな軸で生きていける、

多様性が成立する時代に入りつつあるんじゃないでしょうか。

 

もしも、我慢しなくても成立するのだとしたら、

もう少し自分の心の声に耳を傾けてみてもいいような、

そんな気がするんですよね。

 

少なくとも、

朝自分の部屋を出られなかったり、

玄関のドアを異常に開けたくなかったり、

会社が近づくと吐き気がしてくるような、

そんな状況は異常です。

それを当たり前のものとして「もう慣れたよ」なんて言って、無視してしまうと非常に大変なことになります。

 

今一度心に問いかけてみてください。

さあ、アナタの慣れは我慢ですか?成長ですか?

 

ではでは。