Coyapuyo Re:Works

30代に突入したITエンジニアが新卒で9年務めたSIer系から転職してみた結果、定時で帰れるようになったかもです。

「普通」なんて存在しない、「普通じゃなくても」成立する時代

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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

 

最近、たまたま立て続けに似たような記事を目にしました。

それは「普通」とか、あるいは「普通でない(≒マイノリティ

)」とか、そういったことに関する記事でした。

 

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そう、色んな色の手があっても良いじゃあないか。 

 

僕がここ数年感じていたことにも通じると思ったので、この機会に少しまとめてみたいと思います。

 

 

ジェネラリストとスペシャリスト

 

例えば、普通とか普通じゃないとかって話は、得意に日本の場合はジェネラリスト(なんでも出来る人)とスペシャリストの話に言い換えることが出来るかもしれないですね。

 

cybozushiki.cybozu.co.jp

 

長らく日本社会では、結婚観でもキャリアパス観でも皆がほとんど同じロールモデルを追いかけて、職場でも全員が同じことが出来るように教育をしてきたと思います。

私が死んでも変わりはいるもの」

というのは企業としてもそれなりに理にかなった思想ですしね。

あるいは、全部が出来る完璧からの減点方式だとも言えるかもしれません。

これが所謂、「普通」だったのではないでしょうか。

 

ただ、やはりこの思想は、「単一民族」、「中流階級が厚い」、「工場的な単純時間労働」、「それで右肩上がり」、「先も読める」という同質性が担保できた時代に有利だった思想だろうなと感じます。

 

ところが、誰がやっても時間単位で同じ成果が出るような仕事は近年減ってきています。

なんでもある程度出来る人よりも、スペシャリストの方がピンポイントに重宝されることも増えてきたような気がしますね。

 

 

才能がなければスペシャリストにはなれないのか

一部の才能がある人はスペシャリストになれるかもしれませんが、そうでない人はどうすれば良いのでしょうか。

 

僕は、多分、誰でもなれると思います。

というよりもそもそも「普通」なんてものは本来はないと僕は考えています。

 

前述のような同質性をもって普通を「定義」していただけで、本来は立場や環境が違えば普通なんていうものはどのようにでも再定義されるものだと思います。

 

そして、本来の人にはバラツキがあるものなのだから、そのそれぞれの違いがそのままスペシャルになるハズです。

 

そう、例えば、次の記事にもあるように「人からからかわれて嫌な思いをしたこと」のようなことがそのまま「スペシャル」であり「ツッコミどころ」になるのではないでしょうか。

 

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スペシャリストの働き方

とはいえ、現状はツッコミどころで食べていくのは難しいです。

実際には、1つの企業が終身雇用に近いことをしようと思えば、ジェネラリスト的に育てる必要があるし、個人もジェネラリストにならなければなりません。

皆が普通にやっていることが普通に出来るようになる必要があるわけです。

 

ところが、ちょっと面白いことを言っている記事がありました。

 

FF15というゲームをご存知でしょうか。

途中幾度かの仕様変更やプロデューサーの変更など紆余曲折がありながらも10年かかってなんとか着地・完成した大作RPGゲームです。

(過去記事: FF15をクリアして分かった、睡眠不足は「やっぱつれえわ」 - Coyapuyo Re:Works

 

そんな訳アリの巨大なプロジェクトの舵取りを途中から預かった田畑氏へのインタビュー記事です。

そんな田畑氏のプロジェクト運営論の一部に興味深いことが書かれていました。

 

www.itmedia.co.jp

 

開発には、ビジョンを作っていく立ち上げ初期、プロトタイプを生み出していく序盤、量産していく中盤、品質を引き上げていく終盤がある。

 その段階に合わせて、チームは柔軟に変化しなければいけないのに、開発規模が大きければ大きいほど固定化してしまう。スタッフにも「この人は立ち上げは向いているけど、中盤は苦手」「序盤はうまくできないけど、終盤にはいい仕事をする」とさまざまな能力の違いがある。それなのに、一度リーダーになるとずっとリーダーという状態にあった。それを一度リセットしました。

 

僕は、以前なんでも根性でやる現場で働いていたので、これは本当に感じていたんです。

人材には適材適所があります。

そしてさらに、適材適所は決して職業単位とか案件単位でくくれるものではないはずだと思うんです。

フェーズによってだって当然異なってくる。

上記のようにフェーズで区切ってスペシャリストとして活躍することも可能なハズだと思うんですね。

 

もちろん、会社やプロジェクトがそれを認めてくれないとこうなれないですけども。

 

村社会からの脱却?

 

今までの企業は村社会に似ています。

村は大きくないので、少ない人材で全てを賄う必要があります。

村の少ない人口で全てのジャンルのスペシャリストが賄えるとは限らないので、苦手なことでも出来るようになる必要があります。

そうしないと回らないし生きていくことも出来ないですし。

 

また、同じ村の見知った環境で一生を生きていくので、和を乱すような行為も許されません。合わない人同士でも、折り合いをつけて合わせて行く必要があります。

周りに迷惑をかけるな、というやつですね。

また、同じ村なので、同じ種類の仕事や需要がいつまでもある訳ではありません。最初の村人達が家を立ててしまえば、しばらく家を建てる需要はありませんしね。

 

と、そんな風にスペシャリストで成立する要素が無かった訳ですが・・・

近年は環境的な事情が違うと思うんです。

例えば・・・

 

・人材は日本中、世界中から調達出来る(ネット活用)

・分母が大きければ欲しいスペシャリストも見つかる

・人の単位が細かくなったり流動的になり管理が現実的でなかったが、ITシステムで管理可能になってきた

・同質性が必要な仕事、時給の仕事は機械やシステム、AIがやってくれる

・好きなこと・得意なことだけして生きていても迷惑がかかりにくい

 

上記のような状況が出現しつつあると僕は感じます。

 

つまり、「普通じゃなくても成立する」環境になってきているということではないでしょうか。

 

もちろん、良い面ばかりでなく、

・人をずっと囲うのではなくプロジェクト単位の合流・解散になるので個人としては慌ただしく安定しない、とか、

・当然、終身雇用ではなくなり流動的になる、とか

・スペシャリストとはいえ、複数の組み合わせのスペシャルを持っていないと厳しい、とか

 

等々、懸念点もあります。

 

(個人的にはこの辺りはベーシック・インカムと組み合わせるとうまく機能するんじゃないかなと思っていたりはするのですが・・・)

 

ただ、いずれにせよ、「普通」に囚われ過ぎる必要はないのではないでしょうか。

 

ではでは。