山を舐める者にはお仕置きが必要じゃな?

スポンサーリンク
■るろうの旅-京都

こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

 

そこは太古より続く聖なる山。

その神聖さ故に、山中にはトイレもあえて作られていない程に。

 

「そこに山があるから」

人が山に登る理由なんて、それぐらいのことで充分だと言う人がいる。

 

そう、充分過ぎるからこそ、メタボのおじさんでもつい山を目指してしまうのです。

 

 

正直、舐めていた

 

そんなメタボおじさんは、海派か山派と言われれば「山派」だと豪語していた。

実家には裏山もあったし、山には慣れ親しんでいた。

(つもりでした。)

 

この景色、皆さんも一度ぐらいは見たことがあるかと思います。

P_20170408_163809_vHDR_Auto

 

京都の伏見稲荷大社ですね。

その連なった鳥居がどこまで続くのか、確かめて見たくなるのが人の性分というもの。

 

事前知識ゼロで向かったのが甘かった。

まさか、そう長く続いている訳ないと思うじゃろ?

少し登るぐらいで、長くてもせいぜい数百メートル~1キロぐらいのものだと思うじゃろ?

 

後で分かったことだけれど、実はこの道は山の頂上まで登って戻ってくるまで1週グルっと続いていて、全長は4kmほどのコースになっているのです。

(※ルート全部に常に鳥居が付いている訳ではない。)

 

甘く観ていましたが、香川の金毘羅山ぐらいの気概で挑まないといけない場所であり、普段運動嫌いなおじさんが気軽に登るような場所ではなかったということのようです・・・

 

 

邪なる者が安易に聖なる山に近づいた末路

 

登る前に、「目標達成のお守り」なるものを購入していました。

直近の目標は「この山を登りきること」だったけれど、その目標は達成失敗に終わることになります。

 

それは、わずか3割程度まで進んだところ、だったでしょうか。

急に意識が飛びそう(失神)しそうになってしまったのです。

失神

 

普段運動しないものが急に動いたのがいかなかったのか。

水を飲みながら登る(運動する)のがいけなかったのか。

地上で少しお酒が入っていたのがいけなかったのか。

 

いずれにせよ、僕の視界は徐々に白くなっていき、自分の声も遠くなっていくような状況だった。

 

必死に意識を保ち、なんとか踏み止まりはしたものの

「ああ、これは本気でヤバイやつだな」

というのが明白に感じられ、(休憩ののち)あえなく下山となりました。

 

一時期は富士山に登りたいなんてことも言ってたおじさん。

たかだか300m程度の山の3割程度の位置であっけなく終わりを迎えるとは・・・

 

そしてもうひとつ。

京都には風水的な結界があると言われます。

この稲荷山も聖なる山のひとつ。

 

そこに安易に脚を踏み入れた、邪で汚れきったおじさんを神も仏もお許しにはならなかった。

 

三蔵法師が孫悟空の額当てを締め付けるが如く、

「悪しきものよ!ここから立ち去れ!」

と弾かれ、追い払われてしまった。 

 

・・・ということなんでしょうかね。

 

 

終わりに

 

・・・まあ、本当に神々のお怒りだったのかは分かりません。

 

が、「ああ、もう旅行とか出来る体力ないんだな」

と思い悲しくなったのは事実です。

 

皆さんも、行きたいところには行けるウチに行っておいた方が良いですよ!

 あと、山には功徳を積んだ状態で行かれることをオススメします!

 

ではでは。

 

コメント