群衆の中の孤独を好む

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■雑記・コラム

こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

「群衆の中の孤独」という表現がテレビから聞こえてきました。

ああ、これだ、と。

僕がずっと抱いていた感覚を短い言葉で適切に言語化してくれた、とそう思いました。

ガラスの仮面で知られる美内すずえ先生のお言葉

それは、NHKのSWITCHインタビューという番組でした。

 

アイディア出しや作業の場として、「群衆の中の孤独」が1番やり易くて好きだというようなことをおっしゃっていたのです。

こう言うと難しく聞こえますが、

ようするに喫茶店とかそういった環境の事を指しての発言でした。

 

その理由として、以下3点を挙げていました。

ザワザワしてて、無視してて、適度な緊張感。

 

わかる。

喫茶店が快適とは思わないけれど、群衆の中の孤独が快適なのは激しく同意出来る。

例えば、地方民の僕にとっては「東京の雑踏」「それ」に当たります。

東京の人は冷たいと言われる。

しかしそれが僕にとっては心地よい。

 

 

沢山の人で賑わっているのに、他人にはとても無関心だから。

賑やかだけど、誰も自分のことは放っておいてくれる。

傍観者でいられる。

でも賑やかではあってほしい。

 

僕は、渋谷で「たわしに紐をくくって散歩させている」人をみたことがあるが、誰もそれにツッコむなんて野暮なことはしない。

どんな異端も異端ではないし、直接危害を加えない限りは居ても良いと、そう認めてくれる感じがする。

 

田舎の村ではこうはいかない。

その日のうちには村じゅうの噂になっているだろうと思う。

コンクリートジャングルは冷たいと言われるけれど、案外優しいよね
コンクリートジャングルと呼ばれるこの東京の街。仮住まいで2ヶ月住んでいるに過ぎないが思うところがある。それは、この街は噂で聞くよりずっと優しい、ということだ。

インターネットは群衆の中の孤独的か

そういった意味では、

インターネットもリードオンリーでROMってさえおけば群衆の中の孤独に近い状態となれる、という気がしている。

とりわけTwitter。

 

mixiやFacebookと違って、濁流の中を無限のコンテンツが流れていく様を傍観者として眺めていられるのは楽しい。

群衆の中の孤独、

この感覚を自分以外にもわかる人がいたことには驚きを隠せない。

これからも群衆の中の千の孤独が、メッシュをなしていくのだろう。

 

孤独なのは自分の方か、それとも世界の方か・・・。

 

ではでは。

関西の人込みは何故すれ違うのが難しいのだろう
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