こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
ついに、空前絶後のGWが始まってしまいましたね。
いやー、めでたい、めでた過ぎて昼まで寝てしまいそうです。
みんな同時に休むより、自由に休みを取れるように
働き方改革のご時世の中での大型連休。
歓喜に沸く人々も多いことと思います。
休めない方も稼ぎどきの方もいらっしゃるとは思いますが、それでも、公に休みだと宣言されて少しでも休める人が増えるのは喜ばしいことです。
その一方で、GWは渋滞や公共サービスの停滞を生み出したりもします。
どこへ行っても混んでいるし、どこへ行くにも割高の移動費や割高の宿賃になったりして、弊害もありますよね。
これらは、全員を一度に休んでもらおうとするが故に起こる弊害とも言えます。
そもそも論として、みんなが一斉に休まなくても、1週間程度の休みぐらいなら自由に好きなタイミングで取れる、そんな世の中だとしたら?
そっちの方が混雑も避けれられるし、より本質てきに良くないですか?
というのが、GW否定派の人々の意見ですね。
僕も、そう思いますし、合理的に考えて納得出来るお話です。
けれど、みんなが同時に休むことにもメリットはあるのでは?
ただ、少し落ち着いて考えてみるとハッとさせられる部分もあります。
自ら仕事を作り出している、仕事をコントロール出来ているいる優秀な人々、これらの人々の場合は、たしかに裁量があって自由に休める方が良いと思います。
しかし、そうではない大多数の人には以下のような経験があるのではないでしょうか?
- 休めば休んだ分だけ、問い合わせがたまっている
- 休めば休んだ分だけ、メンバーへの指示が滞り作業が止まる
- 休日に作業した方が割り込みがなくて捗る
もし、上記のような状況だとしたら・・・
みんなが休んでくれているときこそが安らげるとき!
みたいな現実だとしたら!
それはやっぱり、皆で休むことにも意義があるようにも思えてしまいます。
客先やメンバーも休んでいるのだから、余計な手間が増える、溜まることはありません。
その間に、ようやく自分の仕事やプライベートのことに専念することができるとしたら、こんな素晴らしいことはありません。
共通認識、共通前提が変わらないと難しい?
分かっています。
分かっていますとも・・・
メリットがあると言っているのは、既存の体質、考え方に即した前提を置いている場合の話に過ぎません。
根本的かつ、合理的に考えれば、みんな好きなときに自由に休めるようになるのがそれはもちろん良いだろうと思います。
ただ、やはり今のままでは「休めない問題」は根深いような気がします。
休んで当たり前、という空気感が共通認識として存在していないと休むのは難しいんじゃないかと。
いない間に仕事が増える、状況が悪化する、進捗しない、
置いていかれるような感覚を覚えてしまう、怯えてしまう。
このような不安を抱くうちはまだ意識に問題があるのでしょうね。
人に仕事をあてがうのを辞め、仕事に人をあてがい、
スキルに応じてあえて格差を設けぐらいの勢いで専門化していく、
あの役割の専門家がいないのだからその間は仕事が進まないのは当たり前。
専門外のことを求められるのもお門違い。
といった感じの感覚が広まればまた違ってくるかもしれません。
正しいか間違っているかは分かりませんが、
少なくとも「皆が休みなことで感じられる安心感もある」という現実に関しては、なかなか興味深いと思ったので書いてみました。
さあ、皆さんはGWをどんな意識で過ごしますか?
ではでは。
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