勧善懲悪などない、システムをぶっ壊せ

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「一生懸命やっているんだけど出来ない、のならまだ許せる
でも手を抜いている奴は許せないんすよ」

もちろんオイラもやる気ない派の一人なので、
こんなことを聞かされた日には
吹き出しの先が心臓に突き刺さって痛いわけだが
そこはクールに「ですよねー」とでも返しておく。

「8:2の法則」「パレートの法則」というやつがある。

ある集団において、必ず2割は働かない奴らがいるというものだ。

しかも面白いことに、この集団からその2割をあぶりだし、排除したとしても
今度は残った8割のうちからさらに2割がやる気のない集団になってしまうのだ。

このように、
一定数そいうったやる気のない集団が発生するのは、不可避なのである。

これを全員やる気色に染めてやろうというのは、
そもそも無理がある。
(そもそも全ての人に意味はあり、
曲解だが、やる気がない人の存在のおかげで、反面教師的にやる気組はやる気を保っている節もある)

そいうものだということは、まずは認めた方が良いと思う。
そして、その上でではどうすればより良くなるのか
建設的に考えていったら良いと思う。

建設的にとは、個人を憎まないこと。
個人の問題を原因として、やる気がないからだとか、もっとやれとか、
対策を個人に帰着させないこと。

他人なんて、コントロール出来るもんじゃない。
これを分かっていないうちは、上記の一旦は”認める”ということが出来ていないと思う。

そして、他人は変えられないが、
システムや仕組みであれば変えることが出来るハズだ。

気に入らないのなら、
システムや仕組みを正せ。

僕はそもそもの仕組みがおかしいと感じると、
やる気をなくしてしまう。

歪んだ仕組みのうえで、
そのしわ寄せを無理に何とかしようとするのはただすり減るだけの行為で、
そんな苦労はあまり質の良い苦労とは思えない。

現代では、マイナスをゼロにするような苦労が多い。
元来大人たちが買ってでもしろという苦労は経済成長を背景にしているものだろう。
少しづつでも何かが良くなっていく、
ゼロがプラスになるような苦労であれば、それは幸せを感じる行為である。
そもそもの苦労の意味が違う。

仕組みを変えるとは、行くところまで行くと政治になってしまうが、
自分の身の回りのことから変えられることはあるハズである。
僕は同じ苦労なら、そんなゼロをプラスにするような苦労を選びたい。

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