先日紹介した本「嫌われる勇気」の中で、
こんなことも言っている。
賞罰教育では、
罰せられなければやってもよいし、
褒められないことはやらなくてもよい
ということになってしまう、と。
うむ、確かにとても共感出来る。
キリスト教のように常に神が見ているというのであれば、
それでも機能するかもしれないが、そうもいかない。
本の中では、褒めたり罰したりする時点で、
そこには上下関係のような縦の関係が成立しているという。
そうではなく、
横の関係でただ、「感謝する」のが良いのだそうだ。
この話に通じるなと思ったのは、
公共施設のトイレに「今日もトイレをキレイにお使い頂きありがとうございます」
という張り紙があることことがある。
これが、「汚した人は、罰金10万円」とかだったら、
素直に協力しようという気に果たしてなれるだろうか。
人を動かすというのは結局こういうことなのだろう。
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