想いと行動が一致しないとき、それは不幸になる

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「おれは人と同じことをやるのはつまらないんだ、
人がやっていないことをやるのが面白いんだ」
「人がすでにやっていることはレールがあるから面白くない」

先日上長と話をする機会があった。

上長はそんなことを言っていた。

非常に共感する部分があった。

僕自身、人がやってないことをやりたい想いはある。
そしてそれはとても面白そうである。

好き勝手やりたいことがやれたらどれだけいいだろう。

だがしかし、
そんなことを言うような人物であっても、
次のように続けるのである。

「俺は本質的には、ルールは嫌いで面白いことをやっていたい」

「しかし、立場上様々なルールを施行し、守らせる立場にあるので、そのようにしている」、と。

別に、嫌々やっていて
責任感がまったくないとか、いい加減だ、
とかそういった話ではない。

きちんと理論的にルールの必要性を理解し、毅然とした態度で力強く施行している。
全く問題はない。

しかし、

その実、

内心では、一個人としてそのような必要性を感じていないのである。

それでも、毅然と振る舞うというのである。

ここは、ちょっと感心してしまった。
想いと異なっていても行動しなければならないことがあり、
それを毅然と実行しているということに。

と、同時に非常に虚しくもなってしまった。

これほど、上り詰めた人でも、
いや、これほど上り詰めた人であるからこそ、
色々と背負うものがあり、ガチガチに固められてしまうのだろう。

想いと行動が一致していないなんて、
精神的にものすごく不健全だ。

なんて悲しくて虚しいことだろう。
やりたいことがやりたいように・・・

僕はそれを目指す。

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