連休が来るたびに何かしなくてはと思うのも違う

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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

めずらしく連休が取れたりすると、

せっかくなのだから「何かしなくては」なんて思ってしまいませんか?

この姿勢に我ながら違和感を感じる部分があるのでちょっと聞いて下さい。

目次

順番が逆のような気がする

多分これ、順番が逆なんですよ。

1.やりたいことがある

2.休みが来る

3.よしやりたかったアレをやろう

この流れが理想ですよね。

でも、実際は・・・

1.やりたいこともない

2.休みが来る

3.せっかくの休みなのだから何かしなくては

となってしまう。

謎の義務感が先に来てしまっているんですよね。

やりたいこともないのに、無理くり何かしようとするのも違うよなぁ、とも思う今日この頃です。

ちょっとの負担で出来ることなら良いけれど、強迫観念に駆られて頭に負荷をかけながらめちゃくちゃ悩んでまで捻り出さなきゃいけないことでもないような気がしますね。

なんというか、これでは幸せな感じはしないですよね。

そもそも、やりたい衝動がないのが問題だ

僕は以前、かなり病んでいた頃、あまりにも自分の心を殺し過ぎていた時期がありました。

(まあ、今もそうなんですけれども。無職で取り戻した感情は今また就職ですり減らしつつある。)

その頃の酷さを表すエピソードとして、

「週末だからどこかに行かなくては」

と思い立って車に乗り混んだにも関わらず、

「でも、どこに行ったら良いか分からない」

という意欲のなさと思考のデッドロックから車を出発させることができずに、

1時間ほど駐車場で固まってしまっていたという事件がありました

いやー、よくない。

この状態は非常に良くない。

たぶんこれ、何か心のバロメータとしても機能している気がしますね。

自分が何をしたいのか自分でも分からなくなってきたら、わりかし危険な水準だと、僕は思います。

何もしなくても良いじゃない!

何もしていなくたって良いじゃありませんか。

もし苦痛もなくやりたいことが思い浮かぶなら、それはやってみたら良いでしょう。

でも苦痛を感じてまで何かをひねり出す必要はないと思います。

そういうときは、今はまだその時ではないだけなんだと思います。

ただし!

何がしたいのかを探す、という意味ではとりあえず色々やってみても良いと思います。

おそらくポイントは、「選択に過度の負担をかけない範囲かどうか」なんだろうと思います。

無理してまでやらなくて良い!

だけど、無理しないならガンガンやったら良い!

そこの閾値は個人差あり!

これですよ、きっと。

ではでは。

(なんだか、似たような内容の記事を以前にも書いたような気もするけれど、きっとそれは気のせい・・・)

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