欲しいものを手に入れても、今度は失う恐怖でいつまでも幸せになれない

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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

僕は、「ゆっくり」したかったので激務だった前職を辞めました。

無職となった僕は、念願の「ゆっくり」を手に入れました。

それはそれは幸せでした。

実際問題全くのノーストレスな暮らしでしたし、故にストレス発散の過食とか散財もなかったですし。

でもね、ある頃からまたメンタルが落ちていくようになるのです。

目次

「ゆっくり」が続けられなくなってくるとき

よく、「1年もの無職の暮らしは逆に辛くないか?」

と聞かれることがあります。

長くなってくると、さすがに暇が苦痛になってくるのでは?

とか、そういう視点ですね。

これは、僕には全く当てはまりませんでした。

僕は暇がそんなに苦痛じゃあないんです。

沈黙にも耐えられるし、一人でもボーっとしていられる。

何よりも行動や所作がイチイチトロいので、何かと時間がかかる。

そんなこんなでそもそもあまり人生で暇だと思ったことがない。

特に、ネットが普及してからはそれに拍車がかかる。

無限にコンテンツは生成されていて、良くも悪くも暇になることがない。

(これによって僕が生産者ではなく、消費者となってしまっている感は強く感じるのですがね・・・)

そして何よりも、蓄えがあったのです。

時間があってお金もあればそれは夏休みみたいなものでストレスがないのも自明の理。

ただ、そんな暮らしも長くは続きません。

貯金の余力がなくなってきたのでどうしても収入や働くことについて考えざるを得ません。

この頃には、またメンタルを下し始めることになります。

無職生活そのもので辛くなるよりも、無食生活を続けられないことで辛くなっていたという訳です。

もちろん、分かりきった事です。いつまでも続く訳なんてない。

失う恐怖は続く

その後、定時で帰れる会社に就職しました。

それから1年間ほぼ定時で帰宅しています。

立場としても前職よりもずっと末端な感じで、リーダーの支持を仰いでいれば事が進みます。

これなら続けられると思いました。

でも、同時にこれがずっと続く訳ないとも思っていました。

定時で帰れているのも、優秀なリーダーの下で作業が出来ているのも「たまたま今は」に過ぎません。

優秀なリーダーも、早晩抜けようとしていて後進を育てようとしている気配が満点でした。

この人がいなくなったら現場の雰囲気や忙しさはガラッと変わることでしょう。

途中から段々と、客先折衝や上流工程も求められる雰囲気も出てきたりしていました。

そう、どうしても成長を求められる訳ですよね。

すっと同じではいられない。

企業としては当然です。

そして、そもそも僕は客先常駐によってたまたまそのような現場を引き当てただけであり、案件がなくなればそれまでのお話です。

繰り返します。

いつまでも続くわけがない。

人は右肩下がりが一番つらく感じるものです。

逆に右肩上がりを感じられれば幸せでいられます。

現状の位置の高さは関係ありません。

そしてとうとう、およそ1年がたった今、この「定時の現場」は離れることになりそうです。

次の現場は超実力のいる現場を予定していましたが、それは見事に落ちました。

故に、潜り込めそうな炎上案件に突撃の見込みです。

やれやれ、炎上案件、ですか。懐かしい響きですね。

どれ、いっちょ遊んでやりますか?

・・・無理でしょう。

もともと力もない上にすっかりナマッてしまった今となっては。

マジかよ。

欲しいものを手に入れても、今度は失う恐怖でいつまでも幸せになれない

実際に無職の生活は最高に良かったです。

定時で帰れる暮らしもありがたいものです。

幸せな時期は確かに存在していました。

天を目指す

しかし、途中からそれは慣れに変わり、失う恐怖へと変わって行きもします。

仮に登っているとしても案外に足場は脆いもの。

本当はそんな不安な未来に怯えないで、今にフォーカスした方がパフォーマンスは出るというものです。

未来を気にしている暇があるなら今に全力をつくせよ、と。

それは今全力出してないから未来を気にする暇があるんじゃないの、と。

でもね、変に頭でっかちだと未来は気になるものです。

遊んだりしている最中でも、

「このままではヤバい」

「こんなことをしている場合ではない」

ということがチラついて楽しめないし酔えないんですよね。

なんと欲深いことでしょう。

ただ、この思考の恐ろしいことろは、どこまでいっても満たされない。

という点です。

だって、どんなものだって失うことはあるし、失うのはいつだって一瞬です。

失うかもしれないから、まだ不安だ、まだ不安だ、なんて言っていたらいつまでも安心出来ないですよね。

僕は、

「真の幸せは抱えている嘘の数に反比例し、安心の量に比例する」

とは思っているのですが、

人生中々ままならないですし、実践するのは難しいですね。

皆さんは、失う恐怖はありますか?

ではでは。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 自分も、最近、2年間も続いた人間関係がかなり良好かつ定時で上がれることも多い平穏な案件が終了してしまい、失う恐怖は身に染みて共感しています。
    ちなみに、次の現場はかなり超実力(スキルミスマッチレベル)が必要な案件に放り込まれ、エンドからなんでこんなスキルの奴入れたんだとお叱りを受け、お払い箱になる恐怖と闘ってますが、お互い頑張りましょう!!

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