こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
いつの時代も「最近の若い者は・・・」という論調は繰り返されてきました。
あ、ちなみに、「昔は良かった」なんていうのは特定の時代を指すのではなく、常に発言者の20代の頃を指しているなんていう説もあるらしいですよ?
そして逆に、若者から見て「老害」なんていう表現も登場していますね。
確かに、お年寄りがいつまでも実権を握っていること事体は僕もあまり良しとは思いません。
棘のある言い方をすれば、この変化の激しい時代において親の世代が持っている情報や価値観なんて20年遅れだったりするわけですからね。この流れは加速していくし、自分は若いと思っている人の考え方だって同じようにすぐに古くなってしまうでしょう。
ただ、僕がお年寄りに対して無条件に尊敬する点が一つあります。
それは、その歳まで生きた、ということ
仮にどんなに思想的に納得出来ないような人であろうが、
仮にどんなに曲がった人格だと感じるような人であろうが、
仮に自分自身では何も出来ないようなタイプ人であろうが、
「その歳まで生き抜いた」ということは素直に凄いな、と思います。
むしろ、ある種の欠陥がありそうな人が生き残っているのを見るにつけ、
どうやって生きてきたのか本当に感心しますし、尊敬します。
(嫌味とかでは全くなく)
それは何故か。
自分が30年生きるだけでも結構しんどかったと感じるから、です。
ここからさらに何十年も自分の命と生活を維持するなんて、
正気の沙汰とは思えません。
凄い事です。
もちろん、時代の良し悪しや、周囲の協力もあったのでしょう。
もしかしたら特定の時代や世代が恵まれていたのかもしれない。
恵まれていなかったのかもしれない。
本人が優れていなくても、助けてもらってきたのかもしれない。
でも、逆に言えば周囲を巻き込む力があったのかもしれないし、
助けてもらえる仕組みを作る力や、仕組みに近づいていく嗅覚があったのかもしれない。
助けてもらえるような人格者だったのかもしれない。
時代や運をつかむのだって才能のひとつだと思う。
とにもかくにも、僕がムリゲーだと感じるこの世の中を、
形や手段はどうあれそんなに長い間生き抜いたという、
その1点においてのみは完全に尊敬の念を抱かざるを得ない、
という訳です。
本来、「年長者を敬う」というのは、こういう感覚から始まったんだろうなと推察します。
長く生きているから、それだけ尊いし、凄いのだ。
そして、生き延びてきた経験を持っているのだ、と。
ところがどっこい、僕自身も含めて、
大して経験を詰まなくても歳だけとる人も増えてきているから、
単純に尊敬するわけにもいかなくなった部分もあるんでしょうね。
あ、ちなみに、アドラー心理学という心理学では、
子供だろうが老人だろうが、宇宙だろうが、
無条件に尊敬して愛することを推奨していますよ。
以上、生き残った人は凄いなぁ、と思った話でした。
ではでは。
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