退職して良かったと思えることの一つに、
自分の感情に向き合える、ということです。
感情を殺したサラリーマン時代
サラリーマン時代は、
何がどうであろうととにかく突っ走っているしかなかった感じです。
自分のスタイルがどうのこうのというのではなく、
会社の雰囲気がそんな感じでした。
立ち止まってしまうと、その瞬間にすべてが崩れてしまうような、
走り続けていないと死んでしまうような、そんな会社だったと思います。
株式会社が成長によって株主に還元している以上、
現状維持では話になりせんし、
現状維持の志では現状維持どころか衰退していくのも分かります。
長期的な視点で見れば、
今多少立ち止まってでも落ち着いて考えた方が良いときもあると思うのですが、
それがどうしても許されません。
複数案件が同時に走り、アチラこちらで炎上して火消しに走る。
その火消しに力を入れたせいで新たな案件に力を割くのが遅れ、
また炎上する。
すべてが後手に回る悪循環の中、
自分の気分がどうであれ、とにかく走り続けなければなりませんでした。
なんというか前向きに走っている感じはしませんでした。
ハムスターが遊具の中で走るようなその感覚です。
その中で、むしろ自分の気持ちを殺していく必要がありました。
どんなに気分が悪くても会社には行かなくてはいけないし、
明らかに眠すぎて仮眠を取ったほうが効率が良いのに
当たり前だけど、そんなことは許されるハズもない。
それから、時は流れ・・・
本当の気持ちと向き合っていますか?
今、退職して無職になってからは、
自分の気持ちに向き合うことが出来ています。
これは良かったことです。
気分が乗らないときには「無理に」動く必要もないし、
逆に気分が乗った時にはどんなにやっても良い。
ビジネス界隈の人に言わせれば甘いのでしょうが
ここで重要なのは、
気分が乗らない理由は何か、
どうすれば気分が乗るようになるのか、
向き合って分析することも出来るようになる、ということです。
これによって自分に合った気分と時間の使い方みたいなことも
徐々に出来るようになってきます。
何が、嫌いで、何が好きか、
どんなものがあれば楽しく作業出来るのか、
どんな要素は遠ざけておいて、
どんなものに囲まれていると楽しく作業が出来るのか、
自分の感情に問いかける、そんな感じですね。
主体性と改善の意識を持っている人であれば、
これはサラリーマンであっても出来ることだと思います。
しかし、もし望んでいない仕事であった場合には、
主体的になることは出来ず、改善の意識を持つことも出来ず、
環境に流されるまま走り続けるしかないのです。
これは不幸なことです。
感情を理解して働く
ただし、このことは、
転職して良かったことではなく、
無職になって良かったことである点に注意して下さい。
この発言は働いていない僕の口から出たものです。
働いていないからこんなことが言えるのであって、
働かなく暮らしは長くは続きません。
結局、働こうと思ったら上記の問題からは
逃げられないのかもしれません。
でも、あまり、悲観はしていません。
何故ならば、
自分の感情が分かり、何が嫌いで何が好きなのか
自分がどんなときにやる気になるのか、
そのコントロールの方法、
これらを身につけていくことは間違いなく、
働く、ということに役立つと確信しているからです。
結局は、自分のやりたい方向に進んで、
自分の人生を自分でコントロールしている、
という感覚が必要なのでしょうね。
自分でコントロールしているのなら、
どんな環境であれ、
立ち止まることだってなんだって出来るハズです。
走り続けることが出来る、
また、走り続けて良いのは
その先に目指すもの、欲しいものがあり、
それが不毛な努力でないときだけです。
ではでは。
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