こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
皆様、生産性、高まってますか?
業務効率、改善してますか?
生産性ムーブメント、ここ数年で高まっていますよね。
生産性の重要性については言わずもがな、
ないよりはあった方が良いに決まっています。
自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方
- 作者: ちきりん
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/11/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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日本の1人あたりのGDPが他国に比べて低く、人口規模があるので総量では良いポジションにつけていても、1人あたりではすこぶる効率が低いのではという話もよく言われる話ですよね。
そう、生産性が低いというのは問題です。
生産性は上げたい!けれど・・・
という訳で、
僕もパパッと片付けて、サッと進められる人間になりたいと願うものの一人です。
(そして何よりも他人に迷惑をかけずに進められるようになりたい。)
しかし、現実は必ずしもそううまく進められるとは限りません。
少し前に話題になったこちらの記事でも切実な訴えが述べられています。
https://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935
僕自信もまぁそれはそれはトロい人間で、ADHDという症状の傾向がかなりあるので、気持ちというか危惧は痛いほど分かります。
確かに、単に残業時間規制だけの側面で言えば、時間内に出来る人と出来ない人の差が酷いことになってしまいますよね。
その点で、強者の理論であることは確かだと思います。
でもそれは多くの場合、皆似たような賃金で働いているので、そこに不公平感がある訳のが問題なんじゃないかと思います。
出来る人にとっては、
効率が良いことは給料的には評価されず、むしろ残業代の分少ないぐらいで、作業量だけが増えていく。
出来ない人にとっては、
給料分の仕事をしていないしていない上に残業代まで貰っいたり、多くの場合は出来る人に尻拭いを行ってもらうことになる。
という風に。
格差があっても良いのでは、思う
僕自身は、案外「もっと格差があっても良い」と考えている人間です。
格差というと「平等を害する悪」ということになりますよね。
格差という言い方をすると確かに悪なのかもしれませんが、
普通に考えて「人に差異があるのは当たり前の事」で、それ自体は否定出来ませんよね。
そして、そんな差異がある人々でも、出来るだけ同じように利益を得られるようにしようというのが平等ではないでしょうか。
これまでは、皆が同じ方向を向いて一致団結して色んな意味で護送船団で進んでいくのが、効率も良く管理コストも少ない方法だったんだと思います。
だから、なるべく皆を同じに寄せることで利益を最大化しようとしていた。
けれど最早、人を同じにして得られる利益も限界に来ていて、逆に皆を同じにするコストの方が気になるような時代になってきました。
皆がバラバラだと、マッチングや管理にかかる複雑さやコストは大変ですが、それもITの力で抑えられるようになって来ていますしね。
加えて、「同じこと」はそれこそ機械やAI、システムが得意な領域で、勝手にやってくれるようになっていきます。
つまり、「皆が得意なことだけやっていても、破綻なく成立出来る」時代背景が整いつつある、ということです。
そこで、A1さんの仰る観点も重要だと思うんですよね。
https://okite.hatenadiary.jp/entry/seisanseihanouryoku
ざっくりとは、
「生産性が得意な人は、生産性を大いに発揮すれば良く、
ない人は無理に発揮する必要はない(出来ない)」、のではという視点です。
得意なことは得意な人に任せれば良い。
そしてその得意さに「格差」があるのは構わないと思うのです。
むしろ、格差をつけて正当に評価しないと、前述のように不公平感が生まれます。
出来る人たちの頑張る気をなくし、手を煩わせて足を引っ張ることになっていまいます。
そして定時内に出来ない人にとっても、コストの割に出来ない人物ということになってしまいます。
ところがこれが正当に格差付けされれば、定時内に出来る量は少ないけれど「安い」というメリットが生まれる可能性があり、それはそれで利用価値があるかもしれないのです。
近所のコンビニに行くのに行くのに最適なのはF1カーではなく軽自動車なのに、これが同じ金額で売っていて維持費も同じならそれはF1の方が良いよね、ということになってしまいまうという訳ですね。
生産性を上げる究極の方法・・・
ここから先はさらに強者の理論ですが、もっと極端なことを言うことも出来ます。
実は生産性を上げるすごく簡単な方法があるらしいのです。
堀江貴文のQ&A「働かないのは”悪”!?」〜vol.810〜
そう、動画の中ではざっくりと
「出来る人だけでやれば簡単に生産性は上がる」
という旨のことが言われています。
そうなんですよね。
「効率を上げる効率の良い方法」はそれしかない。
ある意味、残酷です。
多くの人が「時給や給料を上げて欲しい」と願うと思います。
が、企業も無価値なものに時給を上げる訳にはいかないですし、企業はより安い人材を求めて海外の人材や自動化を進めるか、本当にその時給に見合う優秀な人しか採用しなくなります。
結果、「時給や給料が上がると多くの人が失業する」というのが多くの人に抜けている視点だ、という訳ですね。
でも個人的には、いいんじゃないかと思うわけです。それで。
出来ない人が無理をするより、出来る人たちが頑張った方が全体最適的な視点で見れば当然効率は良い訳です。
そもそも、日本の税金はその大半を所得上位数%の人や企業が負担しています。
国民の血税とは言うものの、我々下々の者が納めた税金なんて全体の割合の中ではたいして役に立つ額ではないのが現実だったりする訳です。
そう、すでに現実としてそういう構造はある訳ですよね。
これは社会の労働生産性全体の話でしたが、個人の生産性でも同じです。
それぞれが何らかの得意な分野で貢献し、不得意なことは出来る人に任せる。
これが生産性を上げる方法ですよね。
一見残酷ですが、その方が出来ない人にとっても有り難い面もある、と僕は思います。
最後に
ここまでの流れだと、生産性なんて上げなくても良い、みたいな感じですが、そうとも限りません。
ちきりんさんの本でも、生産性を高めるのはセカセカと慌ただしくするためではなく、むしろのんびりした時間を作るために上げるべき、という旨を述べられています。
僕は、前述のように不得意な分野で無理をして生産性を上げる必要はない、と思います。
が、同時に、出来る範囲・無理のない範囲・得意な領域では大いに生産性を上げるべきだとも思っています。
あくまでも、暮らしを少しでも良くするために、です。
生産性については、それぐらいの向き合い方が 丁度良いのではないかと思います。
ではでは。
自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方
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- 発売日: 2016/11/26
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