最近は弱っているので、誰かに守られてぬくぬくと暮らしたいこの頃です。マジで。
こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
大人になるってなんでこんなにシンドいでしょうか。
息をするだけでも疲れてしまいますね。
形だけは立派な大人になってしまった僕たちは
20歳、成人式。
これでガキだなんだと、子供扱いされずに済む?
立派な大人の仲間入り。そんな風に思った経験がある人もいるかもしれません。
しかし、実際にはどうでしょう。
人っていうのはいつまでたっても大人にはならないものですね。
あの頃のまま中身は何にも成長していないのに、歳だけは取る。
むしろ頭の回転や体力だけ失って、あの頃の方がスペック高いという恐怖。
そこにいるのは「大きな子供、大きなお友達」。
にも関わらず、世代的には世の中を動かすような世代になってしまって、本当に良いんでしょうか、という感じです。
35歳ぐらいからがようやく大人なんじゃあないのか
35歳ぐらい、一般論。
会社や仕事でも多少ポジションが上がってきて、家庭も構えてしばらく経つ。
下につく人や子供など、抱えるものも増えてきた。
逆に上の世代の引退や、別れも目立つようになってくる。頼れる人はどんどん減ってくる。
両親だってその例外ではないですよね。
となれば、これが、ここからが「大人」なんじゃないか、と僕は感じます。
成功も失敗も全ての責任を負い、なんなら過去から積んできたツケまで支払う。
10年前を語ることが出来るようになり、10年の重みを感じることが出来るようになる。
過去からのツケ、ここは本当にポイントのような気がします。
過去のツケを語れるようになったら大人。
もちろん、多様な生き方の現代に標準のようなものは存在しません。
例えば、もっと若い頃から波乱万丈であった人も多くいることでしょう。
早くから上記のような状況にあったり、密度の濃い人は、早めに「大人状態」であったと呼べるかもしれませんね。
前後はするでしょうがそれでもやはり、35歳近辺には何かある、そう思えてなりません。
ピークの前後を大人と呼ぶのでは
果たして、何歳からが大人なんでしょうか、もう少しだけ考えてみましょう。
昔は、15歳で元服、大人とされていたのだから驚きです。
やはりこれ、人生のグラフ的なものが強く関係していると思うんですよね。
まずは人生の終わりがどこにあるのか、人生100年時代の今と江戸時代では前提が違います。
今ほど平均寿命が長くない時代においては15歳でも立派な大人であったのかもしれません。
そして、悲しいようですが、人体としてはどうしても衰えが発生してきます。
プロスポーツ選手がいつまでも現役ではいられないのが、その事実を突き付けていますね。
大多数のピークはやはり35歳ぐらいにあり、そこからは下降に入っていくのが現実だと思います。
ピークに差し掛かって、
ピークまでの道のり、
ピークでの景色、
生き残り方、
ピークからの降り方、
適切な撤退戦の仕方、
この辺りを語れるようになることも大人へと至る条件のような気がします。
ただ、書いていて「お説教おじさん」みたいな雰囲気が物凄くしますね。
未来ではなく過去にすがり出してあの頃は良かったと語る、下り坂のおじさん。
とすると、35歳は大人ではなく、「おじさん」の始まりというのが正しいのかもしれません。
そんな気もしてきましたね。
果たして、大人の定義ってなんだ?おじさんの定義ってなんだ?
今日も答えは分からない。
けれど、僕はまだ30代より先の世界を知らない。
その先を見たとき、何かの答えがわかるのかそうでないのか、それはまた別のおはなし。
ではでは。
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