こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
僕が生きにくさを感じる大きな部分、それは、
「自分だけ時間の進み方が違う」
という感覚に言い表すことが出来ると思っています。
見えている世界や生きている次元が違うんじゃないか、と
本気でそう思わされる程です。
すみません、なんか小難しい言い方しました。
そんなにややこしいことじゃないんです。
現象は物凄くシンプルです。
トロくて何事にも時間が掛かり過ぎる
そう、たったこれだけのことです。
例えば文章に関しては、
このブログの記事を書くのも4時間ぐらいかかるときもあります。
メールを書くのも返信するのも時間がかかります。
人と会話をするのにも、
3人以上になった途端にそのキャッチボールについていけません。
弾を用意している間に次の話題に流れていますし、
僅かな行間のタイミングに割って入る瞬発力がありません。
言葉のタイミングが人と被て「あ、先にどうぞ・・・」みたいなことも頻繁に起こります。
マークシート式のアンケートに応えるのもものすごく時間がかかります。
10分で終わりますみたいなアンケートであっても。
1つ1つの設問に真剣に悩んで30分はかかるでしょう。
「徒歩15分」と書かれた場所に、徒歩15分で行けることはありません。
義務教育の頃から運動も苦手でした。
体力的なことはもちろん、反射神経が全くありません。
30分で「テスト問題」を解けと急に言われても難しいです。
焦って思考がまとまりません。
速い人の最小行動単位は5分かもしれませんが、
僕は5分で何かしろと言われたら何も出来る気がしません。
感覚的には45分が最小行動単位ぐらい。
(※タスクとして分解する単位、みたいなイメージ?)
これが本当なら、実に9倍もの時間差があります。
そうだとすれば、確かに別次元と言っても良さそうです。
世界が早過ぎるのか、自分がトロくて遅すぎるのか
愚問。問うまでもない命題でしたね。
明らかに後者なんです。自分がトロくて遅すぎるだけ。
ただし、時間をかければ、案外出来たりもするんですよ?
誤解を恐れずに言えば、
CPUはそこまで悪くないけどメモリが足りないような感じ。
残念なことに、時間をかけているから良い物が出来るわけではなく、
時間をかけて何とか人並みに出来るというだけなんですけどね。
あるいは、方法を確立してルーティーン化出来れば、それなりに出来ます。
逆に、目まぐるしく流動的な状況では対処出来ませんけどね。
そんな風に僕は速く動くことが出来ないので、
自分のペースで暮らしていきたいだけなんです。
が、それは叶いません。
世界が求めるスピードが上がって行く中で、
「スピード的には」こぼれ落ちてしまう。
時間のスパンが全然割りに合わない。
普通の人が定時で出来ることを日付が変わるまでやらないと出来ないのかもしれない。
普通の人が隙間時間で出来ることが、数時間本腰を入れて取り組まないと片付けられないかもしれない。
やりたいことはたくさんあるのに時間的に1つすら処理出来ない。
そのどれもにものすごく時間がかかるから。
加速していく世界で、それでも自分の時間を生きる
実はそんなに悲観はしていないんです。
「配られたカードで戦うしかない」なんてよく言いますが、
変えられないもののせいにしたり嘆いたりすることは
決して「建設的」とは言えないですからね。
それならば、遅いなりにどう戦えば良いのか、
スピードの過当競争に巻き込まれないためにはどうしたら良いのか。
工夫出来る余地はあるかもしれないし、環境を変えることも出来るかもしれない。
そんなものないというのなら、
究極的には自ら環境を作ってしまうことだって不可能じゃあない。
多様性と個人の時代がそこまで来ている予感がします。
僕はそんな中で、「遅い人」の一角として暮らしを模索していきたいと、そう思っています。
これを読んで下さっているアナタにも、
アナタなりの世界が巡っていきますように、願っています。
ではでは。
↓ 遅い、トロい、と思ったら「ADHD」かも?
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