新年のお別れ、それは前触れを持って、でも突然にやってきた

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あけましておめでとうございます。

小さい頃にはやたらと葬式に参加したり
死はありふれたものだった。

しばらく遠ざかっていたところに、
祖母とのお別れがやってきた。
そんな年の瀬でした。

初めてその瞬間に立ち会った。
これまでドラマでしか見たことがなかったが
脈や血中酸素を測定するモニターがあり、
それが徐々に下がっていくという例のアレである。
自分が駆けつけてから1時間後のことだった。

病名としては、敗血症だけれども、
老衰による体力の衰えから発症しているので、
事実上は老衰と言っても良いと思う。
(敗血症を調べてみたら、なかなか苦しそうな病気である
全身に炎症とか考えただけでも痛そうだ)

若い頃からとても苦労した人だったが、
なんだかんだ95歳まで生きているので、
大往生といえる。
十分に生きたし、もう苦しまずにゆっくりしても良いと思う。
というかそうして欲しい。

お疲れ様でした。

さて、この経験を通して一つ、
やっぱりこういう厄事が舞い込んで親戚や近所が集まると
いろんなことが起こるし見えてくる。

家族間闘争や
コストが掛かり過ぎる葬儀システムとか、
面倒でギスギスしている香典システムとか、
この辺は変えていきたいよね。

なんてたって誰も望んでいないのだから・・・
香典料から賄わないといけないような収支なのがそもそも間違っている。

長男がー長男がー、というシステムも合理性を欠いていると思うし、
長男の能力を持たないで生まれ育った長男は
目も当てられない。
実際今回の喪主も悲惨なものだったが、
自分がやってもきっとそうなるだろう。

ましてやどこそこの嫁は動きが悪いとか、
嫁なんて血のつながりもないんだし、
一体何を求めているのかと思う。

この辺はビジネスチャンスがありそうな気がするよね。

あ、今年もよろしくお願い致します。

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