「出来ない奴はマジ迷惑」というけれど、それは単にミスマッチだね

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最近仕事をしていると、
どこどこの誰々さんが仕事に時間を掛け過ぎていて、
その結果のアウトプットも時間の割に質が悪いのだ、
という話になる。

その結果、その人は全く信用されなくなっているのだという。

信用がなくなって、
文句ばかり言われて、
任せられない、
となる。

僕はこの手の話は本当に大嫌いだ。

はっきり言って、気分が悪くなってくる。

何故ならば自分自信も”出来ない派”だから。

そういう人が、如何に使えなくて
単価に見合っていないのか、
如何に行動や考えが理解し難いのか
そんな話。

面白いのは、リーダや出来る人からすれば
「あり得ない」
と言って、
何故そんなことになるのか理解出来ない
ということらしい。

だが、逆に言えば、
出来る人達が何故そんな考えで、
それを当たり前と感じるのか、
僕からも全く理解が出来ない。

結局は、
重きを置いているものや、
ものの見方、
有する能力の適正
が異なっているのだと思う。

つまりは、ミスマッチ、
だと僕は思う。

あくまでもこの仕事を進めるのに向いていないだけであって、
それでそこまで文句を言われるのは、
率直に言って解せない。
人にあらずと言った勢いである。

問題なのは、
人を選んだのは自分ではなく、
与えられたリソースであり、
それは今後も取り替えることは難しい。
そして、お互いに気に入らないけれど
しばらく同じ目的のために一緒に作業をしなくてはならない、
という点にあるのだと思う。

ようは、ミスマッチが起こっているのに、
それを流動的に改善することが出来ないのだ。

これは、一旦就職すると、
中々転職することが出来ない社会の仕組みもそうだし。
テンプレートとして与えられるサラリーマン像しか
生き方がないかのような同調圧力のせいだと思う。

それしかない、となると、
それが出来ないものは生きていくこと出来なくなってしまう。

しかし、実際には、生き方は無限にあり、
サラリーマンとして、怒られるような人でも、
きっと活きる生き方があるハズなのである。

だから気分が悪い、
この手の話は。
ただのミスマッチで誰も悪くない気がするのに、
誰かが悪くならなきゃいけないってのがね。


そう、逃げたって、いい・・・


追伸
この手のミスマッチをうまくマッチさせるようなところはきっと需要があると思っている。
この辺はビジネスになるような気がする。

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