こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
ちょっと刺激的な話になってしまいますが、
時に捕食されたり、事故に合ったり、
体の一部を失った野生動物をなにかの機会に見かけることって
なくはない、ですよね。
実体験ではなくても、テレビのニュースやドキュメンタリーとかで
見たりすることはあるかもしれません。
野生動物と括ると見たことがなくても、
「昆虫」とかの世界では見たことあるかもしれませんね。
僕はそういうシーンを見たときに常に思っていたのが、
「なんかあまり不幸そうな表情をしていないな」
ということです。
いや、痛いんでしょう、ツライでしょう、
でも、そこまで「不幸そうな感じ」は受けないことが多い気がします。
「平然としている」というと僕のイメージが伝わるでしょうか。
もちろん、ぼくは動物保護団体と関係があるわけでもないですし、
獣医関係にまったく縁もないので、本当の現場を見ていないだけかもしれません。
ただ、昆虫とかぐらい極端になると、
やっぱり欠損が生じたりしても何食わぬ顔で、
そのまま淡々と当初の行動を続けるイメージがあります。
(これは子供のころに、田舎暮らしを通じて実際に見たことがあります。)
昆虫には表情がないので分かりませんが、少なくとも行動的には意に介してない。
サイボーグとかが、意に介してないような感じと同じに僕には見えます。
野生動物がケガをしても不幸そうな顔をしない理由
こんな風に感じているのは自分だけかなとも思っていたのですが、
なんと、動物研究の教授の方もテレビで同じようなことを仰っていたのです。
そしてその教授の方は、理由についても見解を語っていました。
要約すると次のような感じです。
「それは、人間だけが未来に希望を持っているからでしょう。
野生動物にはその意識がないから絶望することもない」
なるほど、納得出来ます。
人間だけが食料の長期貯蓄を可能にし、
捕食されることもない、ある種安定した暮らしを手に入れることが出来た。
野生動物や昆虫は、もっと寿命も短いものが殆どですし、
いつ襲われたり食料が手に入らないかも分からない、
そんな刹那的な生きるか死ぬかを生きています。
つまり未来がどうとか、こんな状況になってしまって老後どうなるんだろう、とか、
考える暇もなく今を生きるのに必死なんでしょう。
必死で生きた結果、欠損が起こったとしても、やることはまた必死に生きるだけです。
どちらが良いとか悪いとかそういった見方をするつもりはありませんが、
人類が未来や死についてあーでもない、こーでもないなんて
悩んでしまうのはやはり「捕食されない」ことをはじめとして、
「余裕がある」ことが大きいんだと思います。
「余裕があるから悩んでいられる」んでしょうね。
未来に希望をもって諦めていないから悩む
希望を持っているから不幸であるというのは、こんな場面にも表れる、
という話を最後にひとつ。
「野球のイチロー選手の凄さをみたとき、
アナタはイチロー選手に嫉妬しますか?悔しいですか?」
おそらく、プロを志す人、それも上位の人以外、
この質問に「YES」と答える人はいないでしょう。
自分もそれなりの実力があるから、どこかで諦めていない。
諦めていないから嫉妬のような感情が生まれたりする。
どこかで未来に希望を持っているっていうパターンですよね。
あまりにも差があったり、方向違いだったら嫉妬なんて怒らないですもの。
もしも、何かにちょっとした憧れや嫉妬があるのなら、
まだ諦めていない証拠かもしれません。
野生動物にはひょっとしたらないのかもしれない、
「諦めずに未来に希望を抱く気持ち」アナタや僕にも残っているでしょうか。
ではでは。
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