霊的なものが怖くないという心理と生き方

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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

お盆の時期には、あの世とこの世の境界が曖昧になる。
花火はあちらへの葬いとなるでしょうか。

僕は、霊的なものに極端に弱い訳でもないけれど、まあ人並みに怖がりはしてしまいます。

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暗いのは怖い、何故ならば僕のフィールドではないから

僕は、霊的なものを否定も肯定もしてはいない立場のつもりです。
存在していてもおかしくないと思うし、その方が世界の仕組みとしては面白そうだとも思います。
しかし、実際に世の中に溢れる話の中には眉唾な話も含まれていそうだな、とも思います。

でも怖いものは怖い。
霊的なものは、暗闇とセットで語られれることがほとんどですよね?

単純な話、暗闇では僕らは視界が効きません。
暗闇は僕にとってまったく有利なフィールドではないという訳です。

あり得るかあり得ないかは分からないけれど、
この暗闇でもし何か仕掛けられたとしたら僕らには勝ち目がない。
そう思ってしまうのが、僕の考え方です。

霊的なものは、暗闇も得意で、こちらをちゃんと認識していそうですし、
さらには超常的なパワーや能力を付加されている可能性もゼロではないため、
ますます勝ち目が低くなってきます。

害がないと分かっていたり、こちらが有利であれば気にしないのですけれどね。
可能性を考え、そして勝率を考えると怖くなってくる訳ですね。

深海も宇宙も、怖いので行きたくはない

同じような心理で、僕は宇宙や深海も恐れています。

宇宙なんかは「人生で一度は行ってみたい」と思っている人も多いかもしれません。
僕は、宇宙空間には全く憧れがありません。

スーツで守られていなければ数分と生きていることが出来ず、
前後左右360度に警戒が必要で、
一度初速を得れば無限に吸い込まれてしまう
そんな過酷で深淵の広がる環境です。

怖い、怖すぎます。

深海も同じですね。
深海に至っては、人間よりも圧倒的に深海性能で勝るヤツらがウヨウヨいて、
そいつらが360度どこから仕掛けてくるか分からない、
視覚等の性能でも、運動性能でも全く勝ち目がない。

恐ろしい、恐ろしすぎます。

霊的なものは怖くない

逆に、怖くないという人の心理を見てみましょう。
身近に、怖くない派の人がいたので聞いてみたのですが、なかなか興味深い思考で感心しました。

端的に言うと、

・いてもおかしくはないけれど、仮にいたとして何だというのか
・現世においては、生きている人や生きようと踠いている人が偉い
・必死に生きている人に対して、この世ならざる外野が何を言おうと勝手に言わせておけ
・本当に怖いのは霊的なものよりも人間の方だ

と、いったような趣旨の考え方でした。

まあ、確かに一理ある、とも思いますね。
アドラー心理学の「課題の分離」の考え方を無理矢理に当てはめてみても、
向こうさんが何をしたいたいかはこちらの課題ではなく、気にするだけ無駄なことです。

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上記のような理由で怖いくないという発言は、
「のほほほんと、あるいは漠然と生きている人」からは出てこないのかな、と思います。
多分、必死で生きている、からこその発言であって、
生きることの大変さと尊さを知っている人の発言だな、と思った次第です。

身近な人をなくしている人は、よくこのような境地に達している気がします。
無くして分かる大切さ、お盆の折に噛み締めてみるのも良いかもしれませんね。

勝ち目がないのが怖い、だとすれば・・・

さて、勝ち目がない状況を怖がる僕。
実はこれを書きながらも、
「月曜日が足音を立てて迫ってきている」という状況にガタガタと体を震わせています。
僕の能力では、仕事が捌けない。
勝ち目のない戦いは恐ろしいものです。

勝ち負けの基準は何なのか、それも分からぬまま月曜はやってくるのですね。
ああ、本当に恐ろしいのは、確かに人間かもしれませんね。

ではでは。

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