うまく自分に酔ってドヤるのは良いことだ

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こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。

皆さん、酔っていますか?

いえ、突然すいません。
アルコールの方の酔いについては、皆さん常日頃から十分に注意されていることでしょう。
今回のトピックは、アルコールではなく「自分」

もっと自分に酔っても良いんじゃないの?、というお話です。

目次

否定されがちな「自分への酔い」

自分に酔うとは何なのか?
それは、いわゆるところの自己陶酔というやつですね。
なんだか自分はイケてると勘違いして、
その状況に酔いしれるといったような感じでしょうか。

実力を伴っていなかったり、冷静に周りを見れなくなっていることを揶揄されることが多い気がします。
「自意識過剰の自信過剰タイプ」、ですかね。

そして、もうひとつ、「悲劇のヒロインタイプ」の自己陶酔というのもありますね。
自分はこんなに不幸で可哀想なんだ、だから仕方がないんだ、
もっと優しくしてもらうべきなんだ、
といった感じに悲劇のヒロインであることに酔っている状態です。

どちらにせよ、自分に酔っているというのは、あまり良い風には言われませんね。

自分のご機嫌をとる

確かに酔っている状態は、行き過ぎると痛い目を見ます。
しかし、僕は次のような状態は(ある程度なら)悪くないと思っているんです。

「あれ?俺ってば天才じゃね?」

というタイミング、(極々たまに)ありませんか?
ああいうのって、そのままどんどん乗せてあげたら、気分良く作業出来ますよね。

大したことをしていなくても
「天才♪」
と気分を乗せてみるのはアリだと思うんですよね。

ドヤる

他にも例えば、スタバ的な場所でMac的なものを広げてドヤっている奴
→実際は大した事してない、なんて揶揄されます。
これも結構なことで、
「スタバでMacを広げている俺」に酔って
それによって本人が実際に効率が上がっているのであれば全然良いと思うんですよね。
(実際はそうではないケースが多い事を揶揄されるのだとは思いますが・・・)

むしろ、自分が気分良く作業できるようにするために、
自分が酔える環境を積極的に作りに行くのは非常に重要なことなんじゃないかと最近思い始めています。

前述の悲劇のヒロイン型の酔い方についても、
最大の問題点は自分のご機嫌を自分で取りに行っていない点にあります。
他人が、不幸な私を察して私の機嫌をとってほしい、という態度の表れそのものです。
赤ん坊が泣いて親をコントロールするのと同じ姿勢だ、とまで指摘する方もいらっしゃいますね。

その意味においても、そんな消極的な酔い方ではなく、
状況や環境を変えたり作った方が建設的です。
自分のご機嫌は自分で取りましょう、ということですね。

うまく酔ってドヤっていくスタイル

もちろん、行き過ぎてしまうと自意識過剰ケースになってしまう危険はあります。
しかし、初めから自意識も何もまるで殺しているような人は、
全く過剰ではなのですからむしろ必要なのではないでしょうか。

自分を喜ばせて、自分を調子に乗せてあげれば、進めることもこともあるでしょう。

悪酔いとの差は、飲まれずにコントロールしてやれているかどうか、
もう少し言えば、自覚があるかどうか、というところな気がしますね。

酒は飲んでも呑まれるな。
自分に酔っても呑まれるな、というところでしょうか。

さあ、皆さんも自分の中の王や姫を喜ばせて見てはいかがでしょうか。
ではでは。

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