前回の記事でWindows10のアップデートに触れました。
過去記事:
これ、他の事もしながらとはいえ、1日作業です。
しかも、それでいて結局失敗。
なんというか本当に、
無駄な作業のような感じもします。
なんか機械に振り回されて1日終わった、みたいなね。
■たくさん持つことの弊害
うちにはPCが3台もあります。
たかだか1Kの部屋に一人暮らしで3台もあるので、
どれを使うのか一瞬とはいえ悩まないといけない。
定期的なアップデートは3台とも行わないといけないし。
そういえばテレビも2台ありましたね。
ゲーム機のハード戦争を見ていても、
結局全部の機種を持っているのが一番いいんじゃないの?
争うぐらいなら全部手に入れていいとこ取りしたらいいんだよ。
と思っていました。
これはどう考えても無駄ですよね。
単純に2倍以上のコストが掛かっているし、
買ったあとも今回のような維持コストが掛かってしまいます。
部屋の話で言ってもどの場所が何用のスペースなのか、の
役割付が全く出来ていません。
同じことをするためのスペースが2個も3個もあるなんて・・・
昔は、そういったことを弄くるのも楽しいし好きなので良かったのですが、
無職の今となっては、そんな色々と保守していく余裕もないですし、
ちょっと無駄たと思うようになりました。
(今は結構改善してきています。)
■断捨離という考え方の本質
FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグのTシャツの話があります。
彼は、いつも同じTシャツを着ています。
メディア向けに登壇するときもです。
当然ながら服を買うお金がないわけではないですが、
彼に理由を尋ねると、このようなニュアンスで答えたそうです。
「僕は会社で重要な判断をたくさんしなくちゃならないから、
Tシャツを選ぶことひとつにでも頭を悩ませたくないんだ。
判断の数は少しでも少なくしたい。」
究極的な話、
Tシャツひとつにさえ人の頭のリソースは奪われてしまいます。
ものが多いということは、それだけ
ケアしたり気にしたりしないといけないことが多いということです。
もののメンテや置き場所、故障、修理等々・・・
こういった小さなよどみの積み重ねでも以外と
心身は壊れていくものです。
小さな負荷や不快が蝕んでいくのです。
最近はモノを捨てて余分なものを持たないこと=断捨離(だんしゃり)
が流行っていますね。
単純に部屋がキレイになるということが断捨離なのではありません。
こういったよどみを取り除いていく
シンプルにして負荷をかけないようにする、
という考え方が断捨離の本質だと思います。
こういう不快のサインを見逃さずに処置することが大切です。
もちろん、あまりにも考えないようにし過ぎると
何も判断出来ないお馬鹿さんになってしまいそうです。
断捨離にも段階や程度はあるのでやり過ぎない範囲で、
自分にあったバランスを追い求めていこうと思います。
今回のwindows10は、はじめからアップデートそのものが目的で、
ある程度楽しんでやっていた部分もありますし・・・
まったくモノをいじらなくなるとそれはそれで技術屋出身としては寂しいですからね。
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