こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
引越しの末に大阪市民になって、早2ヶ月程が経ちました。
ようやくちょっと慣れてきたかなという感じがしています。
そう感じるのは、逆説的に「慣れるまでは違和感が強かった」から、でしょうか。
雑踏の居心地の悪さ
僕はもともとは超がつく程の地方出身者であり、
都会には憧れていたタイプの人間です。
(もちろん、都会も経験した今となっては(都会人の)野山を駆け回ったことのない少年少女時代というのも寂しいものだなとは感じたりもします。)
なのですが、
大阪の人込みは正直に言って居心地が悪いです。
個人の主観であり「僕にとっては」という話ですが。
どことなく人の歩き方も無秩序で、
物凄く人とぶつかり易いと感じます。
電車の乗り降りやホームでの暗黙のルール、みたいなものも感じません。
後続のために車内奥から詰めてドア付近に固まって詰まらせない、とか、
降りる人の気配を感じたら詰めて隙間を作って通す、とか
ドア付近なら目的の駅でなくても1回落りるとか、
ホームや構内で○○側通行、とか
こう、集団がスムーズな動線を確保するための仕組みがあまり機能しているように感じないのが正直なところです。
しかし、これらよりも大きかった要素なのは・・・
何だか認められていない、常に見られている感じがする
何かすごくピリピリした視線を感じるというか、
物凄く測られている感じがしてしまうんですよね。
神経を張っていないと、取って食われるようなそんな感じがするんです。
これが一番大きい。
自分が梅田を歩くときは常にセンサー全開で物凄く警戒していることに気が付きました。
その感覚は一体どこから来るのか?
それは・・・
「ローカルの文化や気質のようなものがあって、
それから外れていると奇異な目で見られる感じがある」
ということです。
当然どこの地域でもそれはあるでしょうが、
やはり大阪は誇り高い土地柄なのでそれが強い気がします。
つまり、よそ者ウェルカムオーラをあまり感じない、ということです。
ちょっとでも違ってたり知らなかったりいれば、
それは指を刺されて「つっこみ」という形で表れるわけですよね。
それを見られていると感じるのではないかと思います。
大阪も人が集まってくる街ではありますが、
やはりそれは関西圏の人を中心にしたものですし、
乱暴に言ってしまえば
同じ属性の人が集まる 超巨大な「村」だという見方も出来そうです。
逆に東京なんかだと、
全国の様々な属性の人が集まっているので、どんな人がいようと気にしないし、多様な人同士でトラブルを起こしにくいようにするための空気を読む文化がありますよね。
むしろ、こういう暗黙のルールを守らないと逆に袋叩きにされるというか村八分にされるというかそういう怖さもありますけどね。
どちらが良いという事ではないですが、
僕の気質的にはこのあたり、東京式の方が居心地が良いと感じてしまうところです。
ようやく一員になった感が出てきた
そんな気質のある土地柄ではありますが・・・
果たして、それだけで歩きにくいのでしょうか。
実際にどう見られているかというよりも、
僕自身が「馴染めていない、受け入れられていない」と思い込んでいることが、その居心地の悪さを勝手に作り出してしまっているとも言える気がしたんです。
そう、自分の自信のなさもあいまって、胸を張って歩けていなかったんですよね。
ようは胸を張ってあるけるかどうか、
過度に警戒して歩かなくても良いかどうか、
これが重要なのではないでしょうか。
ここにいても良いんだと、思い込むことにした
幸い、働き出して2ヶ月経過して、
徐々に慣れてきたというか「ここにいてもいいんだな」という感じがしてきました。
理由が分かったこともあり、居心地の悪さは薄らぎつつあります。
というか、最近は吹っ切れてきているところもあって、
どんな人混みであっても『そ、その気になれば、某惑星のナッパさんよろしく「クンッ!」とやれば全員吹っ飛ばせるんだからな!』とか思いながら歩いてしまっています。
もちろん、そんな力はないのでただのハッタリなんですけどね。
悪意を向けて周りを吹き飛ばそうというのではありませんが、
それぐらいの他人を気にしない気概を持った方が良いのかなという、そいう気持ちの表れです。
さあ、アナタは胸を張って雑踏を歩いていますか?
ではでは。
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