こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
最近いい感じに会社に行けなりつつあるので、朝乗る電車の時間が絶賛遅れてきてます。
いい傾向ですね。うん。
と、そんな状況の中、気になったことがあります。
遅刻ギリギリの人々は民度が低い
そうなんです、なんと言いますかこう、朝の定時ギリギリに街を歩いている人々って「民度が低い」なと感じてしまったんです。
(あまり強い言葉を使うと、どこぞの隊長に怒られてしまいますし、民度なんていう概念は定義からして議論が必要だと思うのですが・・・)
これまでは民度の低さみたいなものを感じたことはなかったけれど、自分が遅れだした途端にとっても違和感を感じてしまった次第です。
それはいつもよりたった10分、15分遅くなるだけでこんなにも層が違うのか、と。
なんと言うんでしょうか、自分も含めてみんな「余裕がない。」
全く譲り合わないし、主張が強いし、殺伐としているんですよね。
ここではそれを指して民度と表現してみた次第です。
殺伐とする理屈
では、なぜそんな殺伐とした状況になっていしまうのでしょうか。
皆、時間がない人たちなのでピリピリしている
当然のことながら、そこにいるのは皆、遅刻しそうな状態の人たちばかりのハズです。
(きっと通勤をしようとしている人たちが大半でしょうし、出勤時間も大きくはバラケない。)
昨今の機運はあるとは言え、一応会社には行かなくてはならない訳で、皆そのタイムリミットを意識しながら我先にとピリピリしているんです。
隙間を縫いながら、
周りを吹き飛ばしながら、
遅い人や集団に「チッ!トロトロしやがって!」と舌打ちをしながら、
我が道を突き進んでいく訳です。
まあ、気持ちは分かります。僕だってそういう気持ちはゼロではないですからね。
なんとか間に合わせようとする意思があるだけ、まだ忠義はある方と言えるかもしれません。
遅刻をする層はその時点で意識が低い
と言ったように、ピリピリして他人を責めたりする訳ですが、
これは元を正すとそもそも遅刻しそうな人物自身にも大いに原因があるわけです。
遅刻しそうになっているのはあなたの都合なのに他の人に八つ当たり、みたいなことですよね。
子供がグズったとか、急にお腹がとか、電車が遅延してとか、
やむにやまれぬ事情はあるのかもしれませんが、事前に準備して早く家を出れなかった状況を生み出したこと事態に問題があるように思います。
仮に連日の残業が続いていて前日の就寝が遅かったとしても、ね、他人には関係のないことですから。
そしてここから、
遅刻をしてしまうような段取りの悪さや意識の低さの持つ集団は、やはりちょっと気遣いが出来なかったり、オレオレなところが多い層なのかもしれないな、と思いまいした。
故にこの時間帯の民度は低くなる、と。
(まあ、統計とってないので半分決めつけではあるんですけれども)
遅刻ギリギリの時間帯には、遅刻ギリギリになる理由を抱えた層の人たちがやはり集まっているんです。
当たり前ですけどね、マーケティング目線でもちょっとハッとした感じです。
ちなみに以前、飛行機の最終搭乗時刻に遅れてきたファミリーがおり、その影響で離陸時間が遅れたという場面に遭遇したことがあります。
このときのファミリーは特に悪びれる様子もなく、また、機内でも割と横柄な態度を取っていた印象でした。
格安航空を選び、遅刻を悪びれない層、というのはやはり、一定の傾向を持つのかもしれません。
これもマーケティングとか、客層の分析においては興味深い話だな、と思いました。
ただし、合わせ鏡であることは忘れるな
ただ、あの人はピリピリしているんだろうなとか、気が使えていないなぁ、と感じるということは自分が誰かに対してイライラするタイプであることの裏返しである訳です。
自分が「他人からそう見られているかも」と感じていることは、自分が「他人に対して気にしている」ことと合わせ鏡の関係です。
自分の中にまったくない発想が浮かぶことはありませんし、自分がそう見ているから、そう見られることが恐ろしくなるんです。
つまり、自分が他人を気にしてしまうのは、自分が相手をそのように見ていることの裏返しあることが非常に多いです。
なんだか漠然とした言い方になってしまいますが、要するに自分がそれにイライラしているんだったら、自分も同様にやらかしている可能性大だよ、ということです。
ということで、朝の遅刻層は民度が低い気がすると感じると同時に、自分もその一員であるということに自覚的であるべきかな、という、そう感じたお話でした。
あとは、状況の要因で皆簡単ににピリピリしてしまうんだな、とも。
つくづく、物理的にも精神的にも何か余裕をなくさないように有りたいものですね。
さあ、皆さんは如何でしょうか?
ではでは。
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