「撃たないでくれてありがとう」 シンプルだけど、これが答え

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戦後70年間ということもあり、戦争特番が多数放送されている。

苦しかったことは忘れる、
思い出は美化される。
あの苦しかったことをいつまでも覚えとったらかなわん。
人間はよく出来ている。

現在92歳の元日本軍人の言葉。

大和に乗っていて、
帰れると思ったことはあるか

ー考えたこともない。

自分の意志なんて関係ない。自分の意見なんて通らない。
上官の命令は絶対。
上官の言葉は天皇のお言葉と同じ。

かの有名な戦艦大和に乗っていたこともある元軍人の言葉。

人を殺すということに対してためらいはありましたか?

ーためらいはない。
撃つか撃たれるか、
天皇からの御嘉賞の言葉だってある、それだけを便りにやってきた。

ペリリュー島の戦いを生き抜いた人の言葉。

ペリリュー島での戦いは、
とっくに戦略的価値を失っていたのに、
それを知らされることもなく、戦い続けた。
終戦してからでさえ、それに気づくこともなく2年以上戦い続けた。
「長期戦に徹せよ」という当初の命令にひたすらに従っていた。

今から考えれば、日本が長期戦なんて、もってのほかで
もっとも取ってはいけない作戦だけれど、当時は誰も疑問に思うものはいなかったのだろう。

インパール作戦という作戦でも、
必要な物資は何も確保できないまま、
「現地調達せよ」と作戦は強行された。

そして、おなじみの
特攻とか人間魚雷とか、特攻とか玉砕とか
分が悪くなると自決するとかね。

この辺が敵からしても本当に恐怖だったと言っている、
日本軍の特殊性を証言するアメリカ兵も多い。

「次々と爆弾抱えて突っ込んでくるのだから、
やつらは本当にクレイジーで、何をしてくるか分からない。
そういう恐怖があった」
と、言っていた。

これにすら、ほとんどの人は疑問に思わなかったのだろう。

これって、社畜スピリットに通じるのでは?
と思ってしまって仕方がない。
どんな不条理も、非合理も会社の命令ならまかり通るという・・・

かつて敵を討ち滅ぼすことを信条とした元日本兵達も、
「どうかしてた」
とあれは間違っていた、
とそう語る人が多いようだ。
当時真剣に、それこそ命がけで戦争していた人でも、
(いや、だからこそ?)そう思うってしまうということ。

たった70年前は、このような考え方。

明治が始まったのも、ある意味ではたった150年前。

価値観なんて変わる。
環境と時代で変わる。

撃たないでくれてありがとう

「撃たないでくれてありがとう」

投降時の出来事である。
お互いに、鬼畜と伝え聞いていた敵同士が
撃たなければ撃たれる状況の中で
相手を信用して投降し、それぞれの国で今まで生きてきた。

投降すると見せかけて、突っ込んでくるかもしれない。
前述の通り、日本軍とはそういう連中だ。

その後面識なく70年たって
再開した元日本兵と元米兵が、
お互いに言いたかったこと伝えたかったことが、この言葉。
「撃たないでくれてありがとう」

これが、この言葉が意味するものが
ひとつの答えかもしれない・・・

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