こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
「功徳」という言葉がある。
仏教系の用語で「徳を積む」みたいに使われるものです。
その正しい定義は分からないけれど、徳を積むのはきっと良い事。
功徳を積む
しかし最近の自分には、特に功徳が足りない。
自分に余裕がなければ、自分が楽しくなければ人を助けることも感謝することも出来はしないもの。
謎に物が見つからないであるとか、
ソフトウェアが思ったように動かないであるとか、
些細なことにもイライラしてしまって一人で大声を出しているときもある。
ああ、そうだ、これはきっと疲れているんだ。
パトラッシュのことが自然と思い出される。
あいつは、マラソン大会で一生に走ろうと言いながら、
結局先に行ってしまいそうな気がするから油断がならない。
内向きと外向き
疲れて来ると内向きになる。
他人や周りの環境は自分のエネルギーをすり減らすことが多いと捉えているからだ。
仮面を被ってなんとか外に出ている自分にしてみれば、疲れてくれば外向きでいることは困難になる。
殻に閉じ籠って嵐が過ぎるのを待つんだ。
それが内向的なやり方だ。
外向的な人は疲れたり困難なときほど、外向きになる。
助けを求めたり、遊んだり、周りの人と話したりすることでストレスを発散しようと捉えているからだ。
疲れたなら外からエネルギーを吸収して嵐に立ち向かうんだ。
それが外向的なやり方だ。
どちらが良いとか悪いとかいうものではないけれど、
人間のアルゴリズムというのは合理的に組まれていて、
自分が得をすると判断した方に行動原理が傾いてくのだな、という点においてはとても興味深い。
どんな習慣も悪癖も必ず自分にとって何かしらのメリットを生む合理性があるから、存在している。
アドラー心理学の「目的論」にも通ずるところがありそうですね。
世界は敵なのか味方なのか、
どちらでも構わないけれど、
世界のはらわたの内側にいながらにして世界を敵に回すのはなかなか生き方としてしんどい。
もう少し世界のことを信用してみたら生きやすくなるのかもしれないですね。
ではでは。
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