努力とは疲弊、本当か?大切なのはワクワクなんじゃないのか?

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ワクワクしないことはやるべきではないし、
やる必要もない。
ワクワクしないことならすぐにやめてしまえばよい。

ただただすり減って疲弊するだけのような
ワクワクもしないことに対して
努力だとか成長だとかというのは前提を誤っているような気がする。

以前の経済が成長していた時代なら
それをすればするだけ暮らしや社会なども良くなり
ある意味ワクワクしただろう。
その前提なら努力や成長の理論もとおるだろう。
しかし、努力成長が先にくるのは違和感がある。

ワクワクに向かって人は自然と努力するものだと思う。
本当に努力している人は、
自分が努力していることには気づいていない。
夢中でやっていたらいつのまにかそれだけのことをやっていた、という感覚だ。

成長も頭打ち、ほとんど不自由なく暮らせる飽和状態の現状では、
ただ耐え忍んでも暮らしはよくならないし、昇進もしない。
ワクワクはそこにはない。

そんなワクワクしないことを耐え忍んでいると、
そのワクワクしないことは淘汰されずに残り続けてしまう。
つまらないことはどんどん淘汰されていけば良いと思う。

今後20年で明治維新並の変化がこの国に起こると思う。
そんな変革に立ち会えるなんてこの上ないラッキーである。

この変化のときにワクワクを楽しもう、創りだそう。
他でもない僕らの世代で。

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