こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
「今日はなんだか気分が乗らない」、そんな日もあるでしょう。
そんなときにありがちな必殺技は、
「よし、明日の自分に任せよう、
きっと明日のスーパーでグレートな自分が何とかしてくれる」
これです。
身に覚えのある人も少なくないのではないでしょうか。
明日の自分に任せるってどうなの?
明日の自分に任せるという話を、
肯定的に語ることも出来るし否定的に見ることも出来ると思うんですよね。
問題の解決には期間が必要なこともあるし、
寝て起きてから取り組んだら視点がかわってあっさり解決したり、
今悩んでもしょうがないことを気にし過ぎていることもあります。
こういうパターンは肯定的に捉えることが出来そうです。
先送りは悪とされがちですが、計画して再調整して先送りにすることは悪でもなかったりしますからね。
一方の、先送りに該当しそうなパターン。
怖いから逃げてやらない。
避けたい事柄を今日やり過ごす。
自体が悪化していって今すぐ手を打たないといけないのに放置する。
僕のような人間には刺さりまくりのネットスラングに、
今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ
というものがりまして、まさにこのパターンです。
これは否定的に語られてもしかたがないですね。
同じ明日の自分の話をしているようで、
どちらを肯定パターンと否定パターンのどちらを浮かべながら話をしているかで全然イメージが変って来るから面白いですね。
明日の自分が何とかしてくれたことはあったのか?
そんな風に、清濁併せ持つ「明日の自分」ですが、
これは結局のところ自己肯定感にも関わる話だと思うんです。
要するに、
「明日の自分を信じることが出来るか?任せられるか?」
という話のような気がします。
もっと言えば、
「過去これまでの経験から、”明日の自分”が本当に何とかしてくれたことはあったのか」
ということかもしれません。
過去も何とかしてきたし、
今回も何とかするだろう、
何故だか確信とともに自信がある、
それならば肯定パターンである可能性が高そうです。
ここでポイントなのは、
「過去も何とかしてきたし」という部分。
「過去も何とかなってきたし」
と言っている人はひょっとすると、
うまくやり過ごせただけで先送りを引き延ばしているだけかもしれません。
納期の手前など、然るべきときに報いを受けるときがきます。
経験上。
過去も何とかならなかった。
全くどうにかなる気がしない。
逃げたくて逃げたくて仕方がない。
未来の自分の急に降って沸いてくる奇跡のスーパーでミラクルな力に期待する。
これを繰り返していると、
未来の自分に期待こそすれど未来の自分を信じることが出来なくなります。
自己肯定感が綺麗さっぱり失われてしまう。
僕自身がそのタイプなのでよく分かります。
まだ、引き返せる人は引き返しましょう。
某パイロットも「逃げた先にも良いことはなかった」と言っています。
あ、ただし、がっつり逃げ切る場合はまた別の話だと思いますよ。
というようなことを思いながら、23時代にこの記事を書いています。
今日は諦めて明日の自分に書いてもらおうとも思ったのですが、
今日の自分にもちょっとだけ踏ん張ってもらうことにしました。
さあ、アナタは明日の自分が信じられますか?
ではでは。
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