こんにちは、こやぷよ(@coyapuyo)です。
先日、近場の大型商業施設でアイスクリームを楽しんでいました。
(写真はイメージです。)
ところがこの場所、野外のオープンな場所なのもあって、
楽しんでいると「ハト」がよってくるんですよね。
あざといもので、色んなテーブルを巡回してエサをねだってくるんですね。
エサを奪うのは、動物界のルールに反する?
ちょっと不思議に思ったのは、
鳥の機動性があれば、
「人間に勝てないまでも、人間からエサを奪って逃げることは容易である」
そんな気がするんですね。
にも関わらず、彼らはそれをしない。
テーブルの上にまで上がってきて隙をついてくることはせず、足元でおねだりする。
たしかに、自然界でも他の獲物を横取りするってあんまり聞かないですから
(だからハイエナの例が目立つ?)
そういう意味では彼らなりに、奪うのは違うというのがあるんでしょうか。
確かに、文明を持たない彼らでも、「縄張り」という文化は持っています。
そうかと思う割に、ハト同士においては、
撒かれたエサ(アイスのコーンとか)を奪い合っている様子も見られました。
ある1羽が大きな固まり全部を咥えて持って行こうとしてたので、
残り全員もそれを追いかける。
「ちょ、待てよ!独り占めはずるいぞ!持ってくなよ!」的な。
エサは奪うより、貰ったほうが良い?
あるいは、人間から奪いとっても
長期的に見ると対策を打たれてしまったり、
今でも十分に餌付けをしてくれる人がいるのに、
人間と争ってもメリットが薄いことを理解しているのかもしれません。
人間と仲良くしている方が得である、と理解してくれている、
ある意味での利害の一致、共生が出来ているという可能性。
これはなんかいいですね。
もしも、争うよりも共に生きる方がうまく回るのだとすれば、
これはなんだか素敵な響きですね。
争うよりもメリットがある状況を作り出せば争いは無くなります。
※餌付けそのもののの良し悪しの議論は必要ですが、
この場所では特に注意の看板もなく追い払う人もいませんでした。
皆喜んで餌付けして、お客さんも楽しんでいるようでした。
糞で汚い、とかもなかったですね。
ところで、こういう、「素直に人に助けを求める」っていう行動、
素晴らしいと思いませんか?
エサをくれと大胆に言い寄ってきて、
余力のあるものがこれに応える。応えたくないものは応えない。
こういう生き方も大事なのかもしれないと思うわけです。
※なんだか、鳩関連の話が多くなってきましたね、縁があるようです。
人に素直に頼れる人の方が生きやすいよ
ここで、ちょっと別の話を。
駅でSUICA/ICOCCAのチャージの仕方が分からず、
チャージ機の列を詰まらせているお婆さんがいたんですね。
でも、この人のすごいところは、
・ちゃんと詰まり始めたことに気付き
・後ろの人に助けを求めてやってもらった
という行動をしたところなんです。
このまま、一人で粘っても恐らく自力で解決することは出来なかったでしょう。
現代の問題の多くは、やれば出来るものではなく、
知らないと出来ない、という類の問題が多い気がします。
こういうときに、0の人間が独りでいくら頑張っても何も出来ないですよ。
時間で解決する問題ではないんです。
自力で解決しようと粘っていたら、
どんどん列は長くなり、恨みと妬みを買い、
終いには、耐え切れず横に避けてチャージを諦めることになったでしょう。
こういうときは、
いかに助けを求めたり、関係各所と調整するか、
こういうことの方が大切です。
結果、このお婆さんは、
・列をそれほど長時間詰まらせるでもなく、
・自分のチャージするという目的を諦めることもなく、
目的を達成、やり遂げた訳です。
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欲を言えば、ここでやり方を聞くだけでなく、
ちゃんと見ながら覚える姿勢があるとなお良い感じですけどね。
なんでも独りでやるのが一人前という幻想は、
国民が同一性の高い民族で、総中流で、無個性だった頃の話です。
人には得手不得手があるのだから、適材適所。
頼るときには頼って、活躍できるところで活躍して恩を返していけば良い。
こんなことを言うのは、
実は、自分が人をまったく頼れないタイプだから、です。
それで人生がかなり生きにくくなっている。
そうならない方が生きやすいですよ!
出来てないので説得力はないですが、苦労するのは間違いないです。
(それでいて、自分の力として身につかないことも多い)
ではでは。
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