こんにちは、自信がなく自尊心が低い、こやぷよ(@coyapuyo)です。
いやー困ったもので、これらがないと社会ではやって行きにくくて仕方がありません。
常にオドオド、キョドキョドしてしまって、反応は遅いし、顔色を伺わないと決断が出来ませんからね。
ところがですよ!
そんな状況を抜け出すのに、「念願」が良いかも知れないと思い始めてきました。
今日はその力について書いてみたいと思います。
自尊心が低い、ということ
まずは、「そもそも自尊心が低い、とはこれ如何に?」といったところから。
それは一般的に、成功体験の少なさ、存在を許されているか認められているか?
といったようなところから来るわけですが、実際のところは・・・
自尊心が低いなんていうやつの正体は大体こうです。
自分が嫌いだなんて言いながら、
そんな心の奥底では、きっと自分が割と好き。
何も出来ないと無気力感を出しながら、
そんな心の奥底では、きっと「自分はもっと出来るハズ」と思っている。
よくある矛盾ですね。
矛盾、というか、これは「嘘」ですよね。
傷付かないで済むために幾重にも張り巡らされた予防線。優しくなんてない悲しい嘘。
このあたりは、アドラー心理学の「目的論」、の解釈を当てはめても腑に落ちると思います。
もしかしたら、自信がないと思い込むことに、なにか本人も気が付かないようなメリットが隠れているのかもしれません。
「最強運」持ちであるこの私に、恐れるものなどない
さてそんな中、先日おみくじを引きました。
正月は引いてなかったので今年初でした。
結果はなんと、「大吉」
なんだこれ、意外に嬉しい。
いやね、去年は本当に色々酷かったので・・・
そうですか、ようやくトレ転ですか、それを神も仏も認めてくださるというのですね。
いつもはあまり結果など気にしない方なのですが、今回は妙に来るものがありました。
さらに、境内に張り出されていたボードをふと見てみると・・・
おみくじとは別の、一生涯変わらない運勢として、
「最強運」
だと書いてあります。(・・・マジですか)
「最、強・・?・・・この僕が・・・?!」
それは、生年月日を用いた「九星気学」に基づく記載でした。
生まれた「星」に基づいてみていく訳ですね。
最近調子が上向いてきたのは体感として実感していました。
急に多少のお金が入ってきたり、仕事の負荷が下がってきたり、急に認められだしたり、急にリア充みたいな旅行が発生したり、なんてことも少なからずあったので。
しかし、それ以上に、一生涯トータルで「自分は持っている」ということが判ったのがとても大きいです。
何故だか分かりませんが、小さい頃から自分は大器晩成型だということを何故か直感的に自覚していました。
しかし、実際におっさんになってもその気配は一向にやってこず、信じることが困難になってきていたのです。むしろ下降グラフを描くばかり。
いつかは「やれる」、
ということも根拠のない感覚も、いつしか信じられなくなっていたここ数年。
諦めかけたそのとき・・・!
「九星的にも間違っていない!」、と突然にお墨付きをもらえたのです!
その後少し調べてみても、なかなかどうして、かなり当たっているフシがあるので割と感動しているところです。
直感は間違っていなかったんだなと思います。
驚くべきことに、遅咲きについてもそこに書かれていたのですから。
苦しいときに認めてもらうと、人はコロっと落ちてしまいますね。
恐るべし、弱ったところを助ける作戦の力。
「念願」の力、思い込みの力
と、ここまで読まれた方なら、ひとつの疑念が湧き上がってきているのではないでしょうか?
・カラー(バス)効果
・プラシーボ効果
と呼ばれる、バイアスのかかった都合の良い解釈をしているだけなのでは?と。
自分が購入を検討している車が、街でやたらに目についてよく走っているように感じる。
(実際には、他の車もたくさん走っているが、自分の興味が向いているため特にピックアップされてしまう)
本当はそんな効能などないただの水なのに、効能の謳い文句や偉い人のお言葉を信じているうちに実際に効いている気がする、
とかそういった類の思い込みの話ですね。
確かにその通りで、占いに関しても少なからずその要素はあるように思います。
しかし、ちょっと考えてみてください。
それは悪い方の運命でも同じことなのでは?
どのみち、人の思い込み、願いには、詰まる所の「念願」には、
人の行動や認知、さらには選択をちょっとずつそこに寄せていく力があると思っています。
どうせなら、良い方に思い込んでいた方が幸せじゃないですか?
「我、無敵なり、我、最強なり」
と自己暗示をかけて主人公に匹敵する強さを得るのも悪くないのでは、とそう思います。
実際、この数週間は、
「最強運のこの私に乗り越えられぬものなどないし、何人たりともこの私を止めることは出来ぬ!」
と言い聞かせて行動しているところ、それなりにうまく回っている気がします。
気概が変わると違ってくるんでしょうかね・・・?
というわけで、念願のちから、侮れないかもしれません。
「さあ、願いを言え、どんな願いも叶えてやろう・・・」
「ぎゃ、ギャルの・・・!」
・・・おっと誰か来たようだ。
ではでは。
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